釜本さんはゴールの“怪物” 西村昭宏氏「遺志を継いでいきたい」
「昭和100年」に当たる今年、時代を象徴するスポーツ界の巨星たちが天国へ旅立った。元サッカー日本代表の釜本邦茂さんは8月10日に誤嚥(ごえん)性肺炎のため81歳で逝去。ヤンマーの後輩でG大阪監督時代にコーチとして支えた西村昭宏氏(67=大阪府協会技術担当責任者)が悼んだ。
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ピッチのガマさんを一言で表すと「怪物」です。私が一緒にプレーしたのはヤンマー時代の晩年ですが、“2人にマークされていても自分にボールを蹴れ!”と言われていて“3人ならどうします?”と聞くと、少し考えて“それでも俺に蹴れ”と言いましたからね。ゴール前のガマさんに蹴ったら何とかしてくれる。偉大な選手でした。
あれだけゴールにこだわる人は見たことがない。サッカー教室では必ず自分でシュートを実演するのですが、うまくミートしない時があった。当時は70歳近かったですが、もう一球、もう一球と、自分の納得いくまで蹴り続けていました。子供に手本を見せる時はリフティングやパスではなく、何歳になっても思い切りシュート。私は今、ゴール前の攻防の増える少人数制サッカーの普及に力を入れています。弟分として“ストライカーを育てなアカン”と言われていたガマさんの遺志を継いでいきたい。
日本協会の副会長時代は、“日本代表監督泣かせ”でした。ジーコジャパンやアテネ五輪世代の代表の遠征に団長として同行されていたのですが、練習中にピッチに入って直接指導するんです。当時技術委員長の田嶋幸三さん(現名誉会長)は“ガマさんを止めるのが一番の仕事だった”と苦笑いされていました。日本が勝つために言いたいことを言う。ガマさんらしいです。
近寄り難い印象かもしれませんが、一歩中に入ると優しくて、ちゃめっ気のある方。日本リーグ時代に木之本興三さん(当時事務局長)からの依頼でヌードポスターを作製した時は“一肌脱いで、と言われて、全部脱いだ”と笑っておられました。ガマさんは五輪で得点王に輝いたメキシコ開催のW杯を楽しみにされていました。天国でも現役時代の試合後と同様に、軸足の左足首を氷のうで冷やしながらウイスキーの水割り片手に応援してくれていると思います。(大阪府サッカー協会技術担当責任者)



