さらば永久不滅のストライカー 釜本邦茂さんしのぶ 近親者のみの通夜予定も宮本協会会長ら参列希望者殺到で盛大に

肺炎のため10日に81歳で亡くなったサッカーの1968年メキシコ五輪銅メダリストで、元JリーグG大阪監督、元参院議員の釜本邦茂さんの通夜が12日、大阪府内で営まれた。当初は近親者で行われる予定だったが、不世出のストライカーをしのび、日本サッカー協会(JFA)の宮本恒靖会長やJリーグの野々村芳和チェアマンら多くの人が参列し、別れを惜しんだ。

“世界の釜本”との別れをしのぶ通夜は、意図せず盛大なものとなった。喪主を務めた長男の達生さんは「静かに見送ってあげよう」と当初は親族のみで行う予定で、後日にお別れ会を開く予定だった。ただ、偉大な大先輩との別れに、サッカー界から参列希望の声が殺到。多数の関係者が駆け付けた。

宮本会長や野々村チェアマンらサッカー界のみならず、俳優の松平健も参列。祭壇には“サッカーの王様”と呼ばれたペレに肩車される場面や、メキシコ五輪3位決定戦での得点シーンなど、勇姿の写真パネルが飾られた。真ん中には、少し若々しい釜本さんの笑顔の遺影。達生さんは「難しい顔をしている写真が多いので。(遺影は)15年前ぐらいのものじゃないですかね」と話した。

燦然(さんぜん)たる足跡を残した。国際Aマッチ76試合出場75得点の金字塔を打ち立て、メキシコ五輪では得点王の活躍で銅メダル獲得に貢献。指導者としても日本サッカーリーグのヤンマーを選手兼任で率い、Jリーグ発足前の1991年に松下電器(G大阪)の監督を務めた。その後はJFA副会長にも就任した。

豪快な性格でありながら、思いやりもあふれた。そんな釜本さんを惜しむ声は多い。宮本会長は現役引退後にG大阪監督や、JFA会長など務めてきたが、ことあるごとに「『おまえ、若いけど大丈夫なのか』と話されていたみたいで」と、常に気に掛けられていたと振り返った。

G大阪時代に監督と選手の関係だった永島昭浩氏は、釜本さんとのマンツーマンでのシュート練習を回顧。世界に名をとどろかせた蹴りに「後にも先にもあんな(すごい)シュートを見たことはない」と話した。

https://www.daily.co.jp/

Share Button