釜本邦茂さん死去にJ1岡山・木山監督が選手と監督の関係振り返る J1G大阪・遠藤保仁コーチは「気さくな方だった」

明治安田J1第25節第2日(10日、G大阪0-3岡山、パナスタ)釜本邦茂さんがこの日死去したことを受け、試合前に黙禱(もくとう)が捧げられた。選手は喪章をつけてプレーした。

釜本さんは1991年にJリーグへの参加が内定していた松下電器産業サッカー部の監督に就任し、G大阪の初代監督に就任。サッカースクール「釜本FC」が下部組織の母体になるなど、クラブの礎を築き、94年まで監督を務めた。

94年のG大阪で釜本さんと選手と監督の関係だった岡山の木山監督は「自分自身も当時のチームメートも釜本さんの人柄に惹(ひ)かれて、支えていただいた監督。悲しいですけど、今日ここで試合をするタイミングは、当時の選手を代表して感謝を伝えろと言うことだと思う。なので代表して感謝を伝えたい。本当にありがとうございました」と話した。

釜本さんから影響を受けた部分について「初めてプロになった時の監督で、本当に人間が大きいというか。退場したりミスしたり、相手のエースを抑えられなくて負けても、一度も僕のせいにすることなく、結果は監督の責任、選手は一生懸命プレーしてということだった。器の大きさはなかなかまねできないけど感服しましたし、自分もいつかそうなりたいと思ってやってきたつもりです」と今に生きる哲学について明かした。

G大阪の遠藤保仁コーチは、釜本さんがJFA副会長を務めていたころに日本代表の活動で初めて会ったと明かし、「いろいろ気にかけてくださり、優しく接してくれる気さくな方だった」と振り返った。釜本さんが要職を退いた後も家族ぐるみの親交が続き「遠藤家としてお世話になり、自宅にも行かせてもらった。大変お世話になりました」と語った。「Jリーグが始まる前から注目され、それだけのものを背負ってきた偉大な方」と思いをはせた。試合前に対応した水谷社長は「非常に残念。釜本さんに近づく選手を育てるのが、アカデミーからトップへの仕事」と語った。

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