宮本恒靖JFA会長がG大阪初代監督・釜本邦茂さんを偲ぶ「私がガンバ大阪ユース一期生としてプレーし始めた頃…」
日本サッカー協会(JFA)は10日、同日に亡くなった釜本邦茂さんを追悼する宮本恒靖会長、田嶋幸三名誉会長、川淵三郎相談役のコメントを発表した。
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釜本さんは日本代表で国際Aマッチ通算76試合75得点を記録し、現在も歴代最多得点者となっている。宮本会長は「不世出のストライカー」と、田嶋名誉会長は「日本サッカーの存在を世界中に示してくれた名ストライカー」と、川淵相談役は「稀代のストライカー」と現役時代を表現して偲んだ。
また、釜本さんは現役引退後にガンバ大阪の初代監督に就任。釜本FCを設立し、大阪を中心とする育成年代の強化にもあたった。
三氏はそれぞれの以下のように哀悼の意を表している。
▽宮本会長
「釜本邦茂さんの訃報に接し、お悔やみを申し上げます。1968年メキシコオリンピックでのゴールや日本代表で歴代最多の75得点が示す通り、釜本さんは不世出のストライカーでした。同時に私のキャリアにおいて多くの影響を与えてくださった方でもあります」
「私がガンバ大阪ユース一期生としてプレーし始めた頃、その母体となった釜本FC出身の選手たちが持つ『ボールを止める・蹴る』技術の高さに驚かされました。釜本さんは指導の際にサッカーのベースとなる基本技術を大切にしていらしたと聞きました。その後プロになってからも釜本さんのキックの強さや正確性にまつわる逸話を耳にし、私も良い選手になろうと精力的にキック練習に励みました」
「JFA副会長を務められていた時期はちょうど私が日本代表でキャプテンを務めた頃と重なり、ピッチの外側からチームをサポートしていただきました。また、私の引退後は、釜本さんが主催していた『釜本サッカー教室』に何度かゲストとして呼んでいただきました。2014年のことだったと思いますが、東京の駒沢競技場で『50年前の東京オリンピックの時にここでやった試合に出ていたんだよ』と、集まった小学生200名に話されました。生涯を通じて日本サッカーの普及、振興に努められている釜本さんのお姿に多くのことを学びました」
「サッカー日本代表はいま、釜本さんが点取り屋として君臨し、銅メダルを獲得されたメキシコオリンピック以来の快挙を目指し挑戦を続けています。釜本さんに良い報せをお届けできるよう邁進してまいります。釜本さんの生前のご功績に敬意を表すとともに、ご冥福を心よりお祈り申し上げます」
▽田嶋名誉会長
「釜本邦茂さんの突然の訃報に接し、ショックを受けています。療養されているのは知っていましたが、こんなに早く亡くなられるとは思ってもいませんでした。釜本さんは私にとって憧れであり、本格的にサッカーを始めた中学生の時から常に目標にしていた選手でした。大学1年生で臨んだ関東大学リーグ、われわれ筑波大学は4位でしたが、7試合で7得点を挙げて得点王になりました。1年生での得点王は釜本さん以来だと聞き、うれしく、そして誇らしく思いました。私をはじめ、多くの選手にとって釜本さんは常に目指すべき存在で、誰もが釜本さんを目標にサッカーに打ち込んでいたと思います」
「今から半世紀以上も前に世界と伍して戦い、日本サッカーの存在を世界中に示してくれた名ストライカー、それが釜本さんでした。恵まれた体格とスピード、ゴールへの嗅覚…。日本人離れしたダイナミックなプレーは、今も多くの人々の目に焼き付いていると思います」
「日本サッカーの星がまた一つ、消えてしまいました。釜本さんの長年にわたるご功績に心からの敬意と感謝を表します。ありがとうございました。安らかにお眠りください」
▽川淵相談役
「稀代のストライカー、釜本邦茂さんの訃報に接し、心から哀悼の意を表します。そして、長い療養生活を深い愛情をもって支えてこられた奥さまに心からお悔やみと感謝を申し上げます」
「東京オリンピックの前年、東大検見川で行われた古河電工と山城高校との練習試合で初めて釜本選手と一緒にプレーをして、日本人離れしたそのスケールの大きさに驚かされた記憶があります。既に釜本選手を見ていたクラマーコーチからは熊のような選手がいると聞いていましたので、のっそりしたでっかい選手だろうと思っていました」
「ところが、いざ対戦してみると、そのスピードと本能的なゴール感覚たるや!『えっ、これが高校生なの?』と度肝を抜かれました。東京オリンピックを控え、5カ月にわたる選手選考が行われました。その東大検見川での合宿でも日に日に目に見えて上達していく釜本選手に驚かされました。後にも先にもこんな経験はありません」
「現役引退後、”釜本2世”と謳われた選手は何人も出てきましたが、半世紀たった今も彼に近づいた選手はまだ現れていません。”不世出の選手”という言葉がぴったりな釜本さんでした。ご冥福を心よりお祈り申し上げます」



