【川崎の元分析官・二階堂悠氏が語るJ1開幕節(1)】大阪ダービーで狙いが出たC大阪を生かした「中盤の選手の立ち位置」。G大阪はダワンだけでなく「前線の選手が変わって守備に影響」と見る
2024年シーズンまでの8年間にわたって川崎フロンターレで分析コーチを務めた二階堂悠氏。チームの7冠に貢献した二階堂氏は現在、次なる挑戦を前にしているが、フリーの立場で2025年J1リーグ開幕節について語った。
■【先発メンバー図】セレッソ大阪とガンバ大阪、それぞれの開幕戦「スターティングメンバー布陣図」■
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2月14日大阪ダービーから始まり、15日に7試合、16日2試合が各地で行われ、ついに幕を開けたJ1リーグ。そのオープニングゲームで圧巻の快勝を見せたセレッソ大阪に、二階堂氏も「まず最初の1試合としてはいい狙いが出ていた」と話す。
「横浜F・マリノス時代に当時のアンジェ・ポステコグルー監督をコーチとして支えたアーサー・パパス監督だけに、つないでいくサッカーをしたいということは明白。相手選手の間・間に北野颯太、田中駿汰、香川真司といった中盤の選手がうまくポジショニングしていました。
大きく立ち位置を変化させていたわけではないのですが、少しずつ変化させていくことで相手選手を引き付け、前線3枚に時間とスペースを与えて生きやすい形にしていました。
その前線3枚も外に張ったり、内側に入ったりと柔軟にプレーしていて、それぞれの力を発揮していましたね。
得点はできていますが、失点は2つあるので、おそらくすべてが狙い通りではないでしょうが、最初の1試合としては良かったと思います。横浜FMでプレーしてきた畠中槙之輔という、“ポイント”を知っている選手が入ったことも大きいように感じます」
■FWラファエル・ハットンはさらに良くなりそう
特に注目したのが1点目。前半7分に北野颯太がガンバ大阪サポーターの前で決めたもので、「狙い通りの形となったのでは」と言う。
最終ラインで粘り強くつないでから畠中からの縦パスがズバっと入ったことがスイッチとなり、前線で細かくつなぎつつ前進して、最後は北野が決めた場面だ。
「つないで攻めるという形が見えましたし、北野のポジショニングやそれぞれの選手の立ち位置などがうまく行って、チームに自信と手応えを与えたと思います」
また、新加入のFWラファエル・ハットンも印象的だった。
「収めて時間を作ることがこの試合ではできていましたから、相手を引き付けることで周りを生かすことができていたように見えます。その結果、ルーカス・フェルナンデスや阪田澪哉に時間を与えていました。いくつか要所、要所でのパスミスがありましたが、チームにフィットすればもっとできると思います」
対するガンバ大阪は、やはりMFダワンの離脱が痛かったのと、前線の選手が入れ替わったことに対してまだチームとして攻守においてイメージ共有ができていなかったように見えたという。
「G大阪自体は選手が大きく入れ替わっていませんが、前線で奥抜侃志と名和田我空という新しい2人が先発に入っていましたよね。前線の守備が変われば、中盤や最終ラインへの選手へも大きく影響します。2人替わったことは“ちょっと変わった”とも言えますが、その“ちょっと”が今回のような注目されるゲームでは大きく影響します。少しずつズレていって、G大阪のCBは晒される場面が多々、見られました」
■昨年の守備との違いは
24年シーズンのG大阪が強固な守備が売りだった。それを支えたのが、前線の選手の守備。
「昨年は最終ラインの選手が余裕を持った守備ができていましたが、それを支えていたのが、前線の選手の守備。守り方の仕組みだけではなくて、ウェルトンやこの試合でも先発した山下諒也がプレスバックで戻ってきて、人数的にカバーしていた場面もありました。
そこが開幕戦では去年と違うように見えました。ここからどう修正していくのか。最終ラインが昨年のように余裕を持って守備できる体制を作りたいはずで、“昨年と同じメンバーに戻せば”という声もあるかもしれませんが、そうするとダワンのポジションに今回の試合のようにネタ・ラヴィというタイプの違う選手が入ってくることになる。そのため、前線の選手も含めて、監督は昨年とは違った仕組みを模索しているはずです」
一方で、高卒ルーキーながら堂々の先発を果たした名和田我空は攻撃面ではポジティブだった。
「チャンスの場面もありましたし、ややムリな態勢ながらもシュートを打ちにいった場面もあった。シュートが打てるということはいい場所に入っていけている証拠です。今後、守備戦術をさらに理解していけば、もっと大きな可能性を見せるはずです」
二階堂氏はさらに15日、16日の試合についても語る——。
(語り:二階堂悠)
(後編へ続く)
【にかいどう・ゆう】 1984年5月17日生まれ。宮城県出身。筑波大学大学院卒業後にメキシコ留学を経て、杭州緑城(中国)のコーチに就任。2014年からモンテディオ山形のコーチ、2017年から川崎フロンターレのコーチを務めた。川崎ではクラブの国内7冠達成に寄与し、24年シーズンを持って同職を退任した。