稲本潤一“プロになって、ローンを負担したい”ぶっきらぼうに見えて情に厚い選手/こんな人
<稲本潤一 こんな人>
記者は稲本潤一が高校3年だった97年から、取材をさせてもらった。ガンバ大阪は当時、京都・京田辺市に練習場を構えており、ユース所属の17歳はアマチュア選手として参加していた。
取材ノートには、趣味は「洋服集め」「ゲームセンターに通うこと」「小遣いは1万円」とあり、両親が20年ローンで購入した一軒家について「自分がプロになって、ローンを負担したい」とある。
当時のG大阪はカメルーン代表FWのエムボマが加入し、稲本が17歳7カ月で記録した当時の史上最年少ゴールは、M砲を経由して生まれた。稲本が3列目からパスを出し、M砲もゴールを決めた。万博記念競技場は熱かった。
アーセナルで海外初挑戦した01年、記者は1カ月ほどロンドンに滞在し、稲本を追った。練習は高い壁に囲まれた敷地で非公開で行われ、出待ちした。ある時、車で練習場を出ていった稲本が、記者に気づき、Uターンしてコメントしてくれた。ぶっきらぼうに見えて情に厚い選手だった。
最後にちゃんと会話したのが、40歳で出場した19年の相模原でのJ3。「将来はG大阪で指導者はどう?」の問いに、「呼んでもらえたらいいね」と笑っていた。17歳で初対面し、28年がたつ。ドラマのような半生を見せてもらい、感謝しかない。本当におつかれさまでした。【横田和幸】



