揺るがぬ信念と達観の狭間で――石毛秀樹が移籍を決断するまで
今夏からAリーグ(オーストラリア)に戦いの場を移した石毛秀樹が好調だ。開幕戦から先発に名を連ね、第2節にアシスト、第4節にはFKを直接決めて今季初ゴールを記録。加入1年目からレギュラーの座をがっちりと掴んでいる。
しかし、この活躍に至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。2024年上半期は所属していたガンバ大阪で出場機会が激減。クラブが上位争いを続ける一方で、自身はベンチにも入れない試合が続いた。「なぜ……」「それでも……」「もう……」。あらゆる感情が入り混じる日々に石毛が考えていたこととは――。
取材・文 玉利剛一(フットボリスタ編集部)
出場機会を失っても
「ガンバへ移籍した時に『このクラブで必ずタイトルを獲る』と強く決めていたので、今シーズン試合に絡めていない状況でもチームに勝って欲しい気持ちが揺らぐことはなかったです。もちろん『自分が出場したらこういうプレーをしよう』というイメージは常に持っていましたけど……」
やれることはやった。
「いつチャンスが来てもいいように準備は常に怠ってはいけない」と、コンディション維持のためのワットバイクトレーニングを週1~2回のペースで導入し、2021年夏から始めた魚中心の食生活も継続した。試合に出場することでしか得られない体への刺激があることは認めざるを得なかったが、「できることは絶対にやる」意思が揺らぐことはなかった。
出場時間を伸ばすために必要なことをポヤトス監督に直接聞きに行ったこともある。これまでのキャリアでも指摘された課題を素直に受け入れ、愚直に努力することでプロサッカー選手としての実績を積み重ねてきた。10代の頃にボールを扱う技術力で評価を得たテクニシャンが、現在はハードワークを武器としている理由がそこにある。存在価値をピッチで証明するために、余計なプライドは過去に捨てた。自分に足りないものが何なのかを知りたかった。
しかし、ポヤトス監督から返ってきた言葉は「君が持っている能力や練習態度には何も不満はない」というものだった。
「僕の長所として決定機に絡むプレーを挙げてくれて、『ゴールやアシストの数が増えることを期待している』と。でも、今年はポジションを1列下げたボランチでの起用になっていて、ダニ(ポヤトス監督)の本音が見えないところもありました。今年は厳しいのかもしれないなと思いましたね」
決断
チーム内で難しい立場にあることを自覚した上でも、前向きな準備を続けることができたのは「辛過ぎて悟りを開いた」と語る、清水エスパルス所属時代の経験が大きい。
「2021年ですね。2019年に右膝前十字靱帯と右膝内側側副靱帯を損傷して、翌年は右ハムストリングスを肉離れ。2年間ほぼプレーできない時期が続いた後のシーズンだったんですけど、(同年に就任した)ロティーナ監督にまったく試合に起用してもらえなくて……というか、サッカーをさせてもえらない状態で。練習も、(ウォーミング)アップすら参加させてもらえないような半年間でした。1年目の選手と練習場の隅で3対1のボール回しをやって練習時間が終了する日もありましたし。
なんかもう……感情が無くなるんですよ。自分の中に『無』を見つけたみたいな。あの底辺を一回味わっているので、練習に参加させてもらえるガンバでの時間はメンタル的には問題なかったです(苦笑)。やれることをやって、あとは監督が決める。大事なのは時間を無駄にせずに、筋トレとか自分に足りないことを意識してプラスアルファのトレーニングをすることだなって」
清水エスパルス時代の経験を糧にチャンスを待ち続けた2024年シーズン前半戦。「ガンバのチームメイトが本当にいい人ばかりだった」ことや、「試合に出ても出なくても同じように接してくれる」家族の存在も、出場機会を得られない日々の中でモチベーションを維持させてくれた。
「少しでも長くガンバでプレーしたい」
それは大阪での生活を気に入っていた石毛家としての願いでもあった。
しかし、プロサッカー選手としてプレーできる時間は短い。今年30歳を迎えた石毛にとって、出場機会を得られないクラブから離れる選択はいつか決断しなければいけないものだったと言える。
ガンバ大阪の選手として最後の出場となったのは、7月25日に開催されたレアル・ソシエダ戦。「この試合だけが移籍の理由ではない」としつつも、78分からの途中出場しかプレー機会が与えられなかった事実は簡単に消化できるものではなかった。
「試合前は45分間くらい出場して、自分がやれることをアピールして出場機会に繋げていくことをイメージしていました。けど、結局(出場時間は)10分くらいでしたよね。この使われ方を見て『あぁ、これはもう(ガンバ大阪に)残っても厳しいな』と思いましたし、年齢的にも1シーズンほぼ試合に出ていない選手が冬にオファーを受けられるのかと考えると……。今後のサッカー人生のためにも夏に移籍を考える必要があると代理人や妻と話しました」
9月2日、ガンバ大阪は石毛秀樹がWellington Phoenix Football Club(ニュージーランド)へ完全移籍することを発表。2024年リーグ戦の出場試合数:4、出場時間:42分。ガンバ大阪でのラストイヤーは不完全燃焼で幕を閉じた。
未来を拓く選択を
現在、石毛はニュージーランドで充実の日々を過ごしている。越境参加しているAリーグの開幕戦から先発出場を続け、第2節パース・グローリー戦ではFKから先制点のアシストを記録。リーグ史上初の“ニュージーランド・ダービー”となった第3節オークランドFCで今季初のフル出場を果たすなど、日本で出場機会を得られなかった鬱憤を晴らすかのような活躍を見せている。(※編集部注・取材後に開催された第4節セントラルコースト・マリナーズ戦でFKから今季初ゴールを記録)
「チームメイトやクラブ関係者はもちろん、街の人もすごく優しい。会話は簡単な英単語を使ってくれたり、ゆっくり話してくれたり、リスペクトをもって接してくれるので少しずつ生活にも慣れてきました。だからこそ、僕も分からない言葉は聞き流さないで都度調べるようにして、サッカー以外の時間も大切にしたいなと。
サッカーに関しては監督が『急いでコンディションをあげなくていいので、怪我だけはしないでくれ』というスタンスで、開幕前の練習試合も少しずつ出場時間を増やすような起用をしてくれたのが良かったです」
初の海外移籍でも1年目から活躍できている要因として「大学生のころに清水(エスパルス)の練習参加に来た時以来」の再会となった長澤和輝の存在も大きい。英語が堪能な3歳年上のチームメイトからはニュージーランドでの生活に関して様々なサポートを受けつつも、ピッチ上では少し距離を置くことを助言された。
「和輝くんとばかり一緒にいたら他の選手が自分に話しかけにくくなるし、(英語が話せる)和輝くんを通じて僕に何かを伝えることも増えてしまう。それでは成長に繋がらないという話を移籍当初にしてもらって。確かに日本にいた時、外国籍選手と通訳を挟まないで会話した方がプレー面でも通じ合えることもあったので、早く英語を覚えるためにも積極的にチームメイトとコミュニケーションをとるようにしています」
ニュージーランドでの日々を語る石毛の口調は明るく、その表情からは海外での新生活を楽しんでいることが窺い知れる。10月からは家族も合流し、地元の学校に通う小学生の娘には友だちもできたという。プロサッカー選手として、父として、悩みに悩んで決断した新天地での生活は幸先良いスタートを切った。
「この先どうなるか分からないですけどね(笑)。けど、その時その時でベストだと思う選択をします。サッカー選手として良いプレーを続けていれば、未来を拓けていけると思うので。ニュージーランドではサッカーを頑張りながら、英語の勉強も頑張ろうと思います」
編集後記
「移籍を決断するまでの心境を教えてもらえませんか?」
石毛選手へ送った取材依頼書の内容を要約すると、この一文になる。本人にとって積極的に話したいテーマではないことは明らかで、断られる可能性が高いことを覚悟した上でのオファーだった。
しかし、返事はまさかの「OK」。インタビューは週末の試合にむけてアウェイ遠征中のホテル内で行われた。「ホームタウンからアウェイへの移動時間が18時間かかったり、試合日の4日前から移動したり」というハードスケジュールの疲労を見せずに、難しい質問にも誠実にご対応いただいた。
取材後、石毛選手とアドバイザーリー契約を締結しているSSK社(ヒュンメル)所属の服部等氏から「石毛さんは出場機会がない時でも我々と何も変わらず接してくれたんです。こないだ仕事でガンバに行った時も『石毛さん、Aリーグで活躍しているね』という話題が出たりして、あの人柄でみんなと良い関係を築いていたんやなぁと思う」というエピソードを教えてもらった。
そうしたポジティブな関係性の一端はインタビュー中にも垣間見ることができ、2024シーズンに出場機会を得られなかったことに対する悔しさとは別に、繰り返し語られたのはガンバ大阪への感謝だった。
「清水で苦しい時間を過ごして、(移籍した)岡山でそこそこの結果を残して、次の選択が重要だと思っていた時にガンバのようなビッグクラブから声をかけてもらえたこと自体がすごく嬉しかったんです。苦しい時間もありましたけど、在籍できた2年半は本当に幸せな時間でした。記憶に残っているのは2023年のアウェイ新潟戦。ダニが就任して序盤はなかなか勝てなかったですけど、この試合に先発で出てチームが勝ってから夏場にかけて勝ち点を積み重ねた期間は楽しかった。活躍しても次節はベンチとか、出場時間はあまり伸びなかったですけど、安定したパフォーマンスを出せたとポジティブに捉えています」
数年単位で別れを繰り返すことが当たり前の世界。良い時間も、悪い時間も、すべてを受け入れてキャリアを重ねるプロサッカー選手たち。石毛選手も既に目線は未来に向いている。ただ、「移籍前にサポーターに挨拶できなかったことは心残り」とのことなので、移籍発表から2か月が過ぎたタイミングではあるが、あらためて本人からのメッセージで記事を締めたい。
「2年半ありがとうございました。良い時間より難しい時間の方が長かったですけど、ガンバでプレーできて本当に幸せでした。今夏から大きな変化を伴うチャレンジを決断しました。日本でAリーグの試合映像を観てもらうのは難しいかもしれないですけど、自分が活躍してニュースなどで良い報告ができればと思っています。
ガンバも、大阪も好きになったので、今後は1人のファンとして応援します。自分が在籍期間中にタイトルを獲ることは叶えられませんでしたけど、今年は天皇杯で優勝する可能性があるので、その瞬間をTV画面越しで観たいです仲の良いチームメイトの皆がチャンピオンになれば僕も幸せな気持ちになれると思うので、楽しみにしています!」
[ライタープロフィール]
玉利剛一(たまり・こういち)
1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。その後、筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。2019年よりフットボリスタ編集部所属。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆を行っている。X(旧ツイッター)ID:@7additinaltime