日本代表、歴代ストライカーの系譜(3)“QBK”とも言われ…衝撃のシュートミスの瞬間は?
日本代表は初出場から途切れることなくワールドカップ本大会に出場している。その間、中山雅史や高原直泰、大迫勇也など多くのストライカーが日本代表でプレーしてきた。今回は、1998年のフランス大会からロシア大会まで、ワールドカップ当時のセンターフォワードのレギュラーを紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
ドイツW杯
監督:ジーコ
戦績:グループステージ敗退
背番号9:高原直泰(ハンブルガーSV)
生年月日:1979年6月4日(27歳)
個人成績:3試合出場/0得点0アシスト
背番号13:柳沢敦(鹿島アントラーズ)
生年月日:1977年5月27日(29歳)
個人成績:2試合出場/0得点0アシスト
エコノミークラス症候群から復帰した高原はJリーグで大活躍を見せ、02年の得点王と年間MVPに輝き、03年にドイツのハンブルガーSVに移籍している。日韓ワールドカップで活躍した鈴木隆行は02年夏にベルギーのヘンクへ、柳沢敦も03年夏にイタリアのサンプドリアへ移籍。さらなる成長を求め、欧州に活躍の場を移した。
横浜F・マリノスが初の完全優勝を達成した03年、ベストイレブンに輝いた久保竜彦はジーコジャパンでも活躍した。ワールドカップ予選のオマーン戦では後半アディショナルタイムに決勝点を奪うなど、得点を量産している。
高原と久保が不参加となった04年のアジアカップでは、この年の3月に代表デビューしたばかりの玉田圭司が活躍した。バーレーンとの準決勝では2ゴールを奪い、決勝でも後半アディショナルタイムにダメ押しの3点目を決めた。チームトップタイの3得点をマークする活躍で、日本代表を優勝に導いている。
ガンバ大阪で03年から3年連続2ケタ得点をマークした大黒将志は、アジア予選で苦しむ日本代表の救世主となった。デビュー2戦目となった05年2月の北朝鮮戦では79分に投入されると、91分に値千金の勝ち越しゴールを奪った。この年のコンフェデレーションズカップでもギリシャ戦では決勝ゴール、ブラジル戦でも同点ゴールを決める活躍を見せた。
本大会のメンバー発表会見でジーコは、高原、大黒、柳沢、玉田に続き、巻誠一郎の名前を読み上げている。巻はワールドカップイヤーに入ってから5試合で3得点と好調だった。一方で、持病の腰痛悪化によりパフォーマンスが上がらなかった久保はメンバーから外れている。
初戦のオーストラリア戦には、高原と柳沢が先発で起用された。26分に中村俊輔のラッキーなゴールで先制したが、その後は相手の攻撃に苦しんだ。攻勢を強めるオーストラリアに対してカウンターから追加点を狙うが、ゴールを奪うことはできなかった。79分に柳沢を下げて小野伸二を入れると、日本代表はそこから3失点で逆転負けを喫している。
初戦と同じ2トップが起用されたクロアチア戦はスコアレスのまま試合が進んだ。51分にワンツーで抜け出した加地亮がクロスを入れるが、フリーだった柳沢はこれを右足アウトサイドに当てて外してしまった。日本代表は得点を挙げることができず、第2戦は引き分けに終わっている。
わずかな望みを懸けて臨んだブラジル戦は、玉田と巻が2トップに起用された。ブラジルの猛攻を凌いだ日本代表は三都主アレサンドロのパスに反応した玉田が先制ゴールを決める。しかし、前半終了間際の失点を皮切りにスター軍団の攻撃を抑えきれず。FW陣は玉田の1点のみという結果に終わり、日本代表はグループステージ敗退となった。