<ガンバ大阪・定期便107>背番号4・黒川圭介が左サイドで刻む、新たな歴史。
■攻めの姿勢を見せ続けたFC東京戦。
前半からこれでもか、と言わんばかりに左サイドを駆け上がり、制圧した。
左サイドバックの黒川圭介だ。
J1リーグ第25節・FC東京戦の前日から、策の1つに『サイドの攻防』を挙げていた。
「東京戦に向けては、誰が、どう背後を取るのか、というトライを続けてきました。(左ウイングの)ウェルトンを外に張らせて、自分が中に入っていくのか、あるいは、僕が外に張って、ウェルトンが中でプレーするのか。ウェルトンが足元で受けて仕掛けるだけではなく、センターバックとサイドバックのライン間をブレイクすることによって、僕がサイドバックの大外のスペースを使う、みたいなプレーも増やしたいなと。もちろん相手のプレッシャーとか、出方も見ながらですけど、状況に応じて、うまく使い分けられたらいいなと思っています」
結論から言って、準備してきたことは東京戦で存分に発揮されたと言っていい。DF陣は常にハーフウェイライン近くの高い位置にラインを敷き、センターバックの中谷進之介や福岡将太、あるいはボランチの鈴木徳真らが、再三にわたって左サイドの裏のスペースへボールを展開。サイドバックの黒川が高い位置でボールを受け取り、中に切り込んだウェルトンを効果的に使いながら攻撃に厚みを作り出す。
「もちろん、常に僕が主導してというより先にウェルトンが中に走り出してくれて、そこに僕が攻め上がっていく、というシーンもあったと思いますが、今日に関しては自分がアクションを起こして、それを後ろの選手がしっかり見てくれて(ボールを送り込んでくれる)、ということが多かったので、それは自分にとってもポジティブな要素だと思っています」
これまで、ウェルトンが左ウイングでプレーする際は特に、チームとして彼のドリブル、仕掛けという特徴を活かそうという狙いもあったからだろう。黒川はどちらかというと守備の役割を担い、バランスを図ることも多かったが、この日はプロになる以前から持ち味にしてきた『仕掛ける姿』を存分に発揮。水を得た魚の如く、何度も、何度も、攻撃に顔を出した。
「いつも以上に走る回数も増えたし、今年はそういう試合があまりなかったのでちょっとキツかったんですけど、あれくらい攻撃も…僕は攻撃参加も得意としているし、自分の特徴は本来、あのくらいガンガンいけるところなので。もちろん、チーム戦術の中でプレーしているので、毎試合、役割は違ってくるとは思いますけど、今日みたいな展開になっても自分の強みは出せるなっていうのは再確認しました。その中では、今日も一彩(坂本)だったり、ジェバリ(イッサム)だったり、決めてくれたら、っていう場面もあったんですけど、そういう数字の部分がついてきたらチームとしても乗っていけると思うので、そこは引き続き自分に目を向けてやっていきたいと思います」
■「見える景色が変わってきた」理由とは。
今年の黒川は一味違う。そんな印象を抱く試合が明らかに増えている。
言葉にするなら『どっしり感』と言おうか。東京戦で光らせた攻撃力だけではなく、その守備力に心強さを感じる試合も多く、サイドの攻防でも強さを発揮してボールを刈り取る、走り勝つなど、駆け引きで上回る姿を再三にわたって示してきた。
本人曰く、試合に出続けていることで『見える景色』が変わってきたという。
「ここ数年、残留争いをしていた中でも自分自身は消極的にならない、ということを心がけてやってきたというか。22年に初めてシーズンを通して試合に出て『黄金の脚賞』をいただいた時も、僕としては『チームがうまくいっていない時ほどアグレッシブさを忘れたなくないと思ってプレーしてきたことが評価してもらえたのかな』というふうに、受け止めていたので、以降はとにかくどんな状況でも、そこは忘れずにやろうと取り組んできました。その中でここ数年は、やればやるほど見えること、目に入るものが多くなってきたというか。こういう状況では何をすべきか、どう対応したらうまくいくのかっていう経験値も増えてきたような感覚もあります。もちろん、全部が全部うまくいったことばかりじゃなくて、うまくいかないこともたくさんあったし、チームに迷惑をかけたりもしたんですけど、そういう失敗も含めて、試合に出始めた頃より明らかに自分の体とか頭に刷り込まれているものが多くなって、それがもしかしたら落ち着き? とかに見えている部分はあるかもしれないです」
今シーズンは、彼がコンスタントに試合に絡むようになって初めて『上位』を争うシーズンを過ごしているが、チームとしての『結果』に後押しされている部分もあると言葉を続ける。
「今シーズンは、明らかにチームとしても、いろんなものにチャレンジしようとする空気が生まれているというか。もちろん、どのシーズンもいろんなことにチャレンジしようとはしていたんですけど、上位を争う、つまりは結果がついてきていることで、いろんなシーンで『もっと、もっと』という欲が膨らんで、どんどん新しいことに取り組んでいこうよ、みたいな雰囲気になっている。多少、チャレンジしたことがうまくいかなくても、結果を掴めていれば、また次も勇気を持ってチャレンジしようというマインドにもなれますしね。それは個人も然りで…要するに『勝ちながら良くなっていく』といういいサイクルの中でチーム全体が高まっていくような雰囲気が生まれているんだと思います」
もっとも、黒川自身は、経験値による落ち着きが「安パイなプレーにつながってはいけない」という自覚もある。そうなった時点で成長が止まってしまうという危機感があるからだ。
「こうして試合に出ている今も、練習ではいつも自分が一番下手くそだと思っているし、『ちょっとでも浮かれてしまったら、すぐにポジションを奪われるぞ』って危機感しかないです。ただ、試合になれば話は別。いつも、自分が一番巧い、自分ならチームを勝ちに導くプレーができると思って試合に臨んでいます。プロの世界は、自信がなければ結果を残せないと思うから」
5月末の16節・FC東京戦でJ1リーグ100試合出場を達成した際も、さらなる進化を誓っていた。
「経験は大事なことだと思いますけど、経験値にあぐらをかいてはいけないというか。常にサッカーは進化しているし、サイドバックとしての役割、仕事として求められることも変化していく中で、そうした流れにしっかりと自分を適応させていくためにも、安定は求めたくない。だからこそ、常にチャレンジしていくフレッシュな姿を見せたいって気持ちもあるし、その上で、経験を積んできたからこその雰囲気も出していければいいのかなと思っています」
■J1リーグ100試合を勲章に、さらなる進化を目指す。
関西大学4年生だった19年には特別指定選手として出場したルヴァンカップのジュビロ磐田戦でいきなり『アシスト』を記録して注目を集めたこともあり、即戦力として期待された。だが、プロキャリアをスタートした20年は、試合に絡むどころか、ほとんどの時間を10代の選手たちに混ざってガンバU-23で過ごすことに。トップチームとは違う練習場、ロッカールーム、時間で練習する日々に、時に4〜5人で練習と向き合わなければいけない状況に、悔しさと不甲斐なさが溢れ、サッカーを辞めることも考えたほど、追い込まれた。
「同年代の選手が活躍している姿を見るほど、自分は何をしているんやろ、って気持ちになることも多かった」
反骨心をむき出しにしながら、その状況から這い上がり、当時、不動の左サイドバックだった藤春廣輝からポジションを奪ったのがプロ4年目を数えた22年。そこから左サイドバックに定着し、昨年のJ1リーグでは出場停止を除く33試合のピッチに立つと、今年はその藤春がチームを離れた中で、彼の代名詞だった背番号『4』を受け継いだ。だからこそ、プロ6年目にしてようやく辿り着いた『J1リーグ100試合出場』は大事な勲章だと胸を張る。
「大卒選手で即戦力にならなければいけないという思いでプロになったし、その通りになっていればおそらく3〜4年目には達成できていた数字だとは思います。だから、遅かったな、って思う人もいるかもしれないですけど、僕自身は、本当にいろんな苦しい思いをして、プロの世界の厳しさも知って、ここに辿り着いたので。通過点とはいえ、まずは『100』を達成できたことが素直に嬉しいし、応援してくれている人たちや家族、苦しい時代から応援してくれていたサポーターの皆さんにも、一つ、感謝を届けられたのかなとも思っています。ただ、この数字はまだまだ伸ばせると思っているし、そのために背負った『4』でもあるので。ハルくん(藤春)に近づくためにも、ガンバにタイトルとか、勝ちをもたらせられる選手になっていきたい。そこも含めて今年は自分なりに相当な覚悟を持ってスタートしたシーズンですしね。現状としては、いい位置につけていますけど、本当の勝負はここからだと思っているし、残りのシーズンで、もう1ランク、チームを引き上げられるかどうかで最後の順位も大きく変わるはずなので。僕自身も、しっかりチームを引っ張っていくという気持ちでやりたいと思います」
その決意を胸に今もコンスタントにピッチに立ち続けている黒川。左サイドバックの先人がガンバ一筋13年もの年月をかけて残した偉業に比べれば、今はまだ遠く及ばない。本人も「ハルくんに比べたら、まだまだひよっこ」だと笑う。
それでも、『4・黒川圭介』として刻む歴史もまた、観ている者の心を揺さぶるものになっていることは、彼がサイドを駆け上がるたびに湧き上がるスタンドの歓声が示している。