「U-20W杯の時、自分が25歳で辞めるとは…」消えた天才パサー市丸瑞希26歳が帰ると誓う青黒のスタジアム「自分の失敗は全部伝えていく」
NumberWebで展開中の「消えた天才」特集。本稿では、将来を期待されながら25歳で引退した元U-20日本代表MF市丸瑞希の今に迫ります〈全3回の最終回〉
堂安律に「天才」といわしめた市丸瑞希は今、何をやっているのか。25歳で引退というキャリアを振り返るインタビューは、あっという間に90分を経過していた。
市丸は現役生活最後の1年の話を続ける。
「いい意味でプロサッカー選手として区切りをつける、そして指導者としての将来のためにVONDSに来ました。もちろん、ここで活躍して再びJリーグへという考えも少しだけは芽生えてきましたが、VONDSもレベルが高く、簡単な世界ではないことは理解していましたね」
当時は膝の負傷を抱えた状態で加入したこともあり、復帰してからもトップパフォーマンスが出せない時間が続いた。それでもなぜ「プロサッカー人生で一番楽しい時間だった」と振り返られるのか。
「布さんは嫌な顔せず、丁寧に教えてくれました」
指導者を目指す上で、最高のお手本がいた。当時チームを率いていたのは布啓一郎だった。市立船橋高を強豪校に育て上げ、その後はJリーグ、地域リーグと多くのカテゴリーで指導をしてきたその道のベテラン。市丸は、布と積極的にコミュニケーションを図り、質問攻めにした。
「布さんは嫌な顔をせずに、丁寧に教えてくれました。コミュニケーション力が高く、いつも学びしかない。自然と布さん目線で試合や練習などを見るようになり、どういう視点で選手を見ているのかを考えるようになったんです。この練習はどういう意図でやっているのか、試合中の声かけのタイミングと狙い、修正点の見つけ方などを注視していましたし、僕のように試合に出られていない選手に対しての声かけも見て学びました」
週1回、VONDSが運営するサッカースクールの指導に出向いた。布から学んだことを子どもたちにコーチとして還元する日々。自分自身と向き合い、サッカーを心から楽しんだ時間だった。ずっと自分が抱えていたちっぽけなプライドはもうない。
「指導者目線で意識したことで、選手たちの内心が少しだけ見えるようになってきた。
『あ、こいつ今、不貞腐れている』と、わかるようになったときにハッとしたんです。指導者って選手の心の細部まで見抜いているんだと。本当に気づくのが遅かったですね。自分がどの監督からも使われなくて当然だと思ったし、自分が監督だったとしても当時の自分を使わないと思いますから」
充実のシーズンを終えた市丸は現役生活に別れを告げて、指導者の道を歩み始めた。引退後はガンバ大阪時代の先輩である小川直毅が代表を務める社会人サッカークラブ「FC SONHO川西」に所属し、選手として籍をおきながらジュニアチームのコーチに就任。グスターレサッカースクールのコーチを兼任しながら指導に当たっている。同時に、週3回は幼稚園の職員として雑務をこなし、園児たちに向けたサッカー教室も開催している。
市丸がいるグラウンドは芝ではなく土。照明器具は一切なく、ゴールも即席。バスが手配できないため、市丸らコーチ陣が自家用車で子どもたちの送迎も担う。忙しい毎日だが、市丸の目は現役時代以上に輝いているように見えた。
「幼稚園では純粋にサッカーの楽しさを教えていますし、小学生はスクールに関しては個人の技術向上に特化をして、FC SONHOではチームとして戦うことも教えています。小学生は大人みたいに汚れた心を持っていないから素直。だからこそ、関わる大人がしっかりと向き合っていかないといけないので大変ですが、毎日充実しています」
将来の目標は「青黒の指揮官」
サッカー選手としてはエリート街道だったが、指導者としては実績も知名度もない雑草としてのスタートになる。それでも夢は大きい。
「青黒の指揮官としてもう一度パナソニックスタジアムに立つこと。そのためにはもっともっと勉強して、努力しないといけないし、それでもたどり着けない茨の道だと思っています。でも、僕は本気で目指したい。ヤットさん、明神智和さん、橋本英郎さんなど、多くのガンバのレジェンドがその座を狙っていますから、彼らに打ち勝つために立ち止まったり、道をそれたりしている時間はありません。ジュニア、ジュニアユース、ユースと育成の全カテゴリーを指導して経験と知識、人間力を高めていく。近道はないと思うので、一つ一つコツコツと任された現場で積み上げていきたいと思います」
堂安律、冨安健洋、板倉滉、久保建英、中山雄太。U-20W杯を共に戦った選手たちは今やヨーロッパのクラブで主力として活躍し、日本代表の中心にいる。当時のメンバーで現役を退いた者はまだ、市丸しかいない。
「U-20W杯に出たときは、この若さで自分がプロサッカー選手を辞めているなんて夢にも思っていなかった。彼らは勘違いせずにさらなる高みを目指していったけど、僕は勘違いして、しかもいつまでも引きずってしまった。彼らに今、会ったら恥ずかしいと思う。中途半端にプロを辞めたという強烈な劣等感はあります。でも、今までサッカーでしてきた失敗のすべてが、誰かのせいではなく、自分の行動から来る失敗だったんです。だから正直、どこのチームに行っていても結果は一緒だったと思うんです」
かつて仲間たちに天才と呼ばれた男は、後ろめたさがあり、現役引退をちゃんと報告できなかった。でも、溜め込んでいた思いをさらけ出したことで表情が晴れる。
「消えた天才? そもそも僕は天才ではないので。天才は(堂安)律のように努力を重ねられる人間だと思う。過去の自分に言いたいことは、『お前ちゃんとやれよ』。その一言に尽きる。
『腐っている暇はない。お前が思っているほど1年って短いぞ』と。これから先、サッカーでつまずいたり、腐ってしまいそうになったりした選手がいたら、その場で捕まえてとことん話します。自分の失敗談、後悔してきた部分を全部伝えていくつもりです」
「まるコーチってすごい人やったん?」
練習を終えた帰り道。
「駅まで送って行きますよ」と誘われ、子どもたちを送迎する軽自動車に一緒にお邪魔することになった。珍しい来客に向かって純粋なサッカー少年が言う。 「まるコーチってそんなにすごい人やったん?」
筆者はすかさずこう答える。
「凄かったよ。堂安選手、冨安選手、久保選手と一緒にプレーしていたんだから」
運転席に目をやると、少し照れ臭そうな“まるコーチ”がいた。人生は何度でもやり直せる。苦い経験をしたからこそ、伝えられることがある。ハンドルを握る市丸は、真っ直ぐ前を見つめていた。