現役引退した遠藤保仁…名選手なのに“つかみどころがない”遠藤が持っていた「唯一無二の魅力」
遠藤保仁が残した大記録
遠藤保仁は、つかめない人だ。
1月9日に突如として発表された現役引退に驚くとともに、会見もしないでさらりとピッチを去っていく姿はどこか真骨頂とも感じられた。引退表明後、古巣のガンバ大阪に戻ってトップチームのコーチに就任している。
5年近く前のこと、いずれ来る“幕引き”について彼が語った言葉を思い出した。
「引退するとき、“遠藤って結局どんな選手だったの? ”って思われて終われればいい。遠藤ってコロコロPKも一時期だったし、なんかこれって言うものがないのかもなって。でもそれでいい。まとめられなくていい。だけど“アイツは、いろんな記録を持っていったよな”って。そういう存在でありたいなって思います」
さりげなく大記録を残していった。
日本代表では歴代トップの152キャップを誇り、2019年には世界のフィールドプレーヤーでもパオロ・マルディーニ、ライアン・ギグス、シャビ・エルナンデスらごく一握りのレジェンドしか届いていない公式戦1000試合出場を達成した。だがひと区切りがあっても止まらないのがヤット。
19年半プレーしたガンバ大阪を離れてジュビロ磐田に移籍し、40歳を過ぎてからもコンスタントに出場を続けてきた。43歳で迎えた昨季こそ出番が少なくなったとはいえ、それでも21試合に出場している。
止まらないから、まとめられない。いや、まとめきれない。黄金世代の一員としてワールドユース準優勝、ガンバJ1初制覇、ACL優勝、アジア年間最優秀選手賞、南アフリカワールドカップでの躍進、アジアカップ2度の優勝、Jリーグ3冠&MVP、ジュビロJ1昇格……一枚の用紙には収まらないほどの実績が並ぶ。
悔しかった経験もある。シドニーオリンピックではメンバーから外れ、スタンドから観戦した。そしてドイツワールドカップではフィールドプレーヤーでただ一人出場機会なく終わった。ドイツ後「なぜ出られなかったか」を考え、球際の戦いを強化すべく筋力、体幹を継続的に鍛えて、自分に足りなかった部分を補っている。客観的に自分を分析して、一度やると決めたら徹底できるのも彼である。
希代のパッサーは卓越した技術力にとどまらず、得点力も守備力も走力も兼ね備えていた。指揮官のリクエストに応えつつ、チームの駒となることを変わらず意識してきたという。かつパフォーマンスに波があまりないのも遠藤の特長。
“どんな選手だったの? ”と言われるような特色のないタイプではまったくない。要はどんな選手でもあったということ。そのうえ監督からすれば計算が立つ。だからこそどの指揮官にも信頼され、第一線でずっと長く活躍できたのだと言える。
「つかませない」遠藤保仁のプレー
つかめないというよりもつかませない。
プレーを見ればそれはよく分かる。代名詞となった“コロコロPK”がまさにそうだった。
遠藤はこのように語っていた。
「パスを出すときにヒントを得たんです。相手を見て、体重が掛かっているほうの足にパスを出すと動けない。じゃあPKでやってみようと思って、練習でやったら簡単にうまくいきました。それこそジーコジャパンのとき。(川口)能活さん、(楢崎)正剛さん、土肥(洋一)ちゃん相手に、ほとんど成功したんじゃないですかね。あの人たちに通用するなら、誰でもいけるでしょ、と。でもあのPKは一時期だけですけどね」
相手GKがどっちに体重を掛けているかをギリギリまで見極めてパスを出すように蹴る。相手から読まれず相手のことを先に読む。駆け引きで上回る。パスにしてもポジショニングにしても何にしても遠藤のプレーに共通していたことだ。
南アフリカワールドカップの大舞台でも“これぞヤット”と誰をも唸らせたプレーがあった。2010年6月24日(現地時間)、グループリーグ第3戦のデンマーク代表戦――。
本田圭佑のFK弾で先制して迎えた前半30分だった。ゴールまで27m、ちょうど正面という絶好の距離と位置で直接FKのチャンスを得る。左足のキッカー本田、右足のキッカー遠藤が並んで立ち、壁とGKから目を離さないまま遠藤は本田に「俺、蹴るよ」と伝えている。
相手GKはキッカーから見て左寄りにポジションを取っていて、本田のキックを明らかに警戒していた。GKのほうが先に動くということも先制点のシーンで分かっていた。
遠藤にじっくり聞いたことがある。
「壁のつくりが甘いなって思いましたね。しっかりつくるなら(自分から見て)もう2歩、右に寄せたいところ。デンマークの選手は背が高いと言っても、壁の端に立つ選手はそこまでじゃない。上を通すんじゃなく、壁の横を通っていけば“これ、ドンピシャだな”と。
もちろん圭佑だって、一発決めて感触も良かったわけですから、蹴りたいとは思っていたはず。でも壁のつくりを見たうえで自分が蹴るよ、と。俺と圭佑の間では“ここは俺が蹴る”“いやいや俺が蹴る”みたいなやり取りって一度もないんです。僕が蹴ると言ったらそうだし、圭佑が逆に言ってきたら、そうするし。“遠いから圭佑頼むよ”とかもしょっちゅうですから。でもみんな、圭佑が蹴ると思っていたんじゃないですか。後で録画した映像を観たら、実況の人も圭佑の名前をずっと言っていたんで」
ゴールから離れて仁王立ちの本田が“蹴るぞ”という気配をビンビンと漂わせるなか、逆に気配を消した遠藤が短い助走からキックを放った。壁の右を通したスピードあるカーブボールはGKの手をかすめることもなくゴール右に吸い込まれていった。
自分が蹴ることを分からせないために、助走を短くしたと思っていた。だがそれは違った。試合会場のラステンブルクは標高1500mの高地にあり、気圧が低いためにボールが思った以上に伸びていく感覚があったという。
「あの距離なら、本来もう1、2歩下がりたいところ。わずかな助走で蹴るって、まあまあの筋力が必要ですから。ただ会場の気圧を考えると、ボールに対する反発力が出てくるからそんなに助走は必要ないなって思っていました。むしろ助走つけて当てる部分間違えると、上にバーンと持っていかれてしまう」
駆け引きで上回っても、ミスしてしまえば意味がない。正確な判断と正確な技術があるからこそ成立させることができる。遠藤の凄味が凝縮された一撃でもあった。
遠藤保仁をつくりあげたもの
彼がふと笑ったことを覚えている。
「いずれ自分が引退したときには、ニュースなんかでデンマーク戦の映像が真っ先に使われるんでしょうね。僕のなかでは単なる1試合にしかすぎないですけど」
本人の読みどおり、引退を報じるテレビのニュースではあのデンマーク戦のゴールが多く流れていた。ただそれほどインパクトが大きかったということでもある。
とどまらず、型にはまらず、相手に自分をつかませない一方で逆に相手を、試合全体をしっかりとつかんでしまう。
その術は、日ごろから磨き上げたものだった。ピッチ外でも目と脳を働かせるように心掛けていた。子供と公園で遊ぶときも間接視野で周りを観察しておいて「あの子は次にブランコに行く」などと予測を立てていたという。マジックバーにマジシャンの手法が参考になると気づくと、そこから通うようにもなった。移動のバスではヘッドフォンをつけて音楽を聴きながらタブレットを見たり、携帯ゲームをしたり、敢えて同時進行にするのも遊び感覚から生まれた遠藤なりのトレーニングであった。こういった一つひとつが、特別な存在へと引き上げていった。
長年彼を取材してきたなかで特に響いた言葉がある。
「俺のために合わせろなんて1回も思ったことないですよ。一緒にプレーする選手が“やりやすかった”と言ってもらえるのが最高の誉め言葉ですから」
つかませない人は、何よりチームメイトの心をガッチリとつかんで離さなかった。信頼を積み重ねた先に、前人未踏の大記録があったのだ。



