遠藤保仁引退「コロコロPK」マンU名手GKファンデルサールからゴール G大阪黄金期の司令塔

元日本代表MF遠藤保仁(43)が9日、現役を引退すると発表した。歴代最多の国際Aマッチ152試合、J1通算672試合の歴代最多出場記録を持ち、日本が誇る司令塔は、26シーズンにわたって現役でプレー。日本代表として3度ワールドカップ(W杯)メンバーに選出された。10年南アフリカ大会で直接FKも決めたボランチは、古巣のG大阪トップチームでコーチに就き、今度は、指導者の道を歩み出す。

また1人、日本のサッカー史を彩ってきた名手がピッチを去ることになった。

「23(年)シーズンをもちまして現役生活に終止符を打ち、引退することを決めました。来シーズンはJ1でみんなが輝いているところを陰ながら応援したいと思っております」

日本代表とJ1で最多出場記録を持つ遠藤は、最後に所属した磐田から、最後のコメントを発表した。

鹿児島実から98年に横浜Fに加入し、99年にはクラブ消滅に伴い京都へ移籍。01年~20年10月まで所属したG大阪では、絶対的な存在として黄金時代の構築に貢献した。

一方で、06年ドイツ大会では、初めてW杯メンバーに入りながらも、フィールドプレーヤーで唯一ピッチに立てない屈辱も味わった。それでもJリーグで技を磨き続け、10年南アフリカ大会では、1次リーグのデンマーク戦で日本を16強に導く直接FKを決めて日本に歓喜をもたらした。

海外からオファーがありながら国内でのプレーを貫き、J所属でも世界と戦えることを示した選手でもあった。08年、ACL(アジア・チャンピオンズリーグ)を制してクラブW杯に出場。マンチェスターUとの準決勝では、3-5で敗れながらも世界に名を響かせた。代名詞の「(ゆっくり転がす)コロコロPK」で、名手GKファンデルサールからゴールした。09年にアジア年間最優秀選手、14年にJリーグMVPを受賞。Jベストイレブンには、03~10年の10年連続を含む計12度選出された。

古巣のG大阪で、指導者として第1歩を刻む。この日はYouTubeで公開された動画でもコメント。「まじめに語るのも僕らしくないというところもあり、なんと言ってもオフはオフなので、とことんオフを満喫したい」。ちゃめっ気をまじえて切り出した。

磐田でもG大阪でも引退に関する会見は行わないといい、12日のG大阪始動日から指導者人生をスタートさせることになる。

「選手たちとともに成長し、チームの勝利に貢献していきたい。その中で、私が選手時代に感じたことなど、選手にとってプラスになる要素があれば伝えていきたい」

酸いも甘いも知り尽くす「ヤットコーチ」が、どんな指導者になっていくのか-。【永田淳

◆遠藤保仁 1980年(昭55)1月28日、鹿児島県出身。鹿児島実から98年に横浜Fに加入し、京都、G大阪、磐田でプレー。J1では歴代最多の通算672試合で103得点、J2では通算104試合10得点。日本代表でも歴代最多の通算152試合に出場し10得点を記録した。W杯は06年ドイツ大会、10年南アフリカ大会、14年ブラジル大会でメンバー入り。178センチ、75キロ。

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