【記者コラム(金川誉)】サッカーの奥深さを教えてくれた遠藤保仁 仲間の力を引き出す“天才”

日本サッカーのレベルを引き上げた功労者だった。中村俊輔の必殺FKや、小野伸二の魔法のボールタッチのような、分かりやすい武器があるわけではない。それでも一本のパスが、どう試合の流れを変えるのか。ボランチとして試合をコントロールすることが、どう勝利に近づくのか。サッカーの奥深さを日本のファンに教えてくれた。

ミスが少なく正確。長くプレーしたG大阪では主役を演じることもあったが、日本代表では黒子役を務めることも多かった。チームメートの特徴を引き出すパスが一番の魅力だった。スピードがある選手にはスペースへ、ターンが得意、左足が得意な選手にはそのポイントへ。タイミングを逃さないパスはまさに絶妙。記録には残らないが、アシストの一つ前のプレーに関与した回数は数え切れない。G大阪、日本代表で長く相棒役を務めた今野泰幸が「ヤットさん(遠藤の愛称)とプレーすると、みんなうまくなる」と語っていた言葉は、特に印象深い。仲間の力を引き出す“天才”だった。

かつてはそのプレースタイルから運動量が少ない、バックパスが多いなど、批判を受けた時期もある。しかしピッチ上のあらゆるデータを計測するトラッキングシステムが導入されると、走行距離が常にチームで上位だったことは証明された。スプリント回数は少ないが、小さなポジション修正を繰り返し、最適な場所を探し続けるからこそだった。またバックパスを選択するのは「無理に前に出すより、その方が早いから」と批判も意に介さなかった。パスの出し入れで相手守備を崩していくおもしろさも、遠藤のプレーから知ったファンも多いはず。サッカーを見るレベルを上げてくれた選手だった。

ひょうひょうと、と表現したくなる脱力系のキャラクター。しかし頭脳、そして根性でキャリアを切り開いた。小学生時代はピッチの外にあったブランコが揺れる位置を確認しながらプレーし、視野を広げる努力を続けた。ピッチでは自分以外の21人、全選手の位置を把握しながらプレーしているという逸話にも驚かされた。視野と行動予測の訓練として、スーパーでの買い出し時には客の流れを読み「どこのレジが一番早く進むのか」を予測していたように、普段の生活から独特のアイデアを駆使して成長につなげていた。加えて鹿児島実高で鍛えられた体の強さを持ち、少々の怪我では試合は休まず、長きに渡ってポジションを明け渡さなかった根性も、これだけの試合数を重ねられた要因だろう。

遠藤の存在はJリーグからでも世界を目指せる、という指針にもなった。決してスピードなど身体能力に優れたわけではなかったが、技術と頭脳を武器に、Jリーグ30周年のMVP、そして3度のW杯に出場した姿は、多くの日本人選手にとって模範だった。今季からG大阪のコーチに就任し、第二のサッカー人生に進む。その頭脳を生かし、ピッチで走らずしても日本サッカーに貢献できる道はまだまだある。いつか監督として、魅力的なチーム、選手を送り出し、またファンを楽しませてくれる日を心待ちにしたい。(元G大阪担当 金川誉)

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