西野朗氏、05年G大阪Vメンバーと再会「よみがえるね」…現場欲は「常にある。チャンスとタイミングが合えば」一問一答
G大阪などで活躍した元日本代表MFで現在はサッカー解説などを務める橋本英郎氏(44)の引退試合が16日、パナソニックスタジアム吹田で行われた。G大阪が初優勝した2005年にプレーした現日本サッカー協会専務理事の宮本恒靖氏(46)や遠藤保仁(43)=磐田=のチームと、「日本代表フレンズ」として大久保嘉人氏(41)らのチームが対戦した。
以下、G大阪側を率いた西野朗元監督(68)の試合後の一問一答。
西野監督(懐かしい顔ぶれの報道陣に囲まれ)「何でいるの? 慣れてないんだけど。全然(苦笑い)。申し訳ないです。お久しぶりです」
―久々に再会して、今日の試合はいかがでしたか?
西野監督「よみがえるね。やっぱりね。変わらないからね。何となく。みんなこぢんまりしたけれど、動きとか走り方とか、タッチとか。プレーは…(笑い)変わらないし」
―山口智さんがセットプレーに入る動きも変わらなかった。
西野監督「そう。ほんとね、準備もしてなくても。合っちゃうんだよね。ああいう時は」
―パナスタで指揮する西野さんを待っていた人も多かったと思う。
西野監督「橋本が全部コントロールしてるから」
―試合前は何かおっしゃったんですか?
西野監督「実好がずっと喋ってた。集中力は超能力だって。もう20年言っているんだから」
―ガンバが(J1の終盤から)連敗中だから、それを止めようと冗談めかしていたようで。
西野監督「そうそう。それをハッシー(橋本)が言ってました」
―橋本さんはどんな選手でした?
西野監督「ハッシー? 最初の3本ぐらい、シュートは…。相変わらず5センチ男だね。5センチ外れる。と思ったけど。クレバーな選手だからね。本当に」
―橋本さんは西野監督が抜てきされた。
西野監督「うん。あの頃のポリバレントの代表だったと思う。どこやっても『難しいです』とか『できません』とか言わなかったしね。常にチャレンジしてたし」
―「よみがえるね」とおっしゃっていましたけれど、どんなところが?
西野監督「いやいや、だってあれ(2005年12月3日)以来、アラウージョなんか見てなかったからね。プレーなんか。目の前を、なんかスーッと走って。オグリも変わらないしね。全然。やっぱり」
―エキシビションとはいえ「theガンバ」な試合だった
西野監督「演出も良かったんじゃないですか?」
―これまで、こういう試合に来られることは多くなかった
西野監督「これから多くなるんじゃないの?」
―監督にとって2005年のメンバーとは?
西野監督「(少し考え)05年だけではないけど、Jリーグも30年だけど、やっぱりスペシャルなチームだなと思いますよ。ガンバの、あの頃のチームって。いろんなジュビロの時代とか、アントラーズの時代とか、それぞれ瞬間的にとか。常勝になったチームもある中で、あの頃のガンバのスタイルっていうのは、本当に選手たちが作った…。自分の想像とか、遙かに超えた中の感覚をみんな持っていたのかなと思う。自分が学ばせてもらった感じがしますね」
―前線の3人のコンビネーションは相変わらずよかった。
西野監督「フェル(=フェルナンジーニョ)がもうちょっと…と思うけれど(苦笑い)、魅力的なトライアングルでした」
―西野さんの現場欲は?
西野監督「現場欲? 常に。常にあるんだけど、チャンスとタイミングが。合えば」
―これだけのメンバーが集まった。橋本さんがやってきたことが表れた。
西野監督「だから改めてそういうのもよみがえるし。だから改めて思うこともあるし。ハッシー(=橋本)なんか岡田(武史氏)のところにも行ったから、なおさら伸びたのかもしれないし。寿命がね」
―アラウージョの鉢巻きや、ゴール裏に飛び込んでいくのは最終節を思い出させた
西野監督「あれ、ハーフタイムに言っていたから。あいつ。みんなに。レフェリーにもあらかじめ言っといたから、という話だったから」
―浦和戦の時に隠していて、ゴールを決めたら巻いて。
「そう」
西野監督(大好きな『じいじ』と遊びたがるお孫さんに)「どうでした? 中。何だった?」
(ガンバユニを着た)お孫さん「バスだった! バス! 同じだった!」
西野監督(じいじの顔つきになり)「同じだった!」
西野監督「これからもみなさんに取材に来ていただけるように…」