<ガンバ大阪・定期便80>江川湧清と中村仁郎。離脱を余儀なくされた二人が来シーズンの復帰に描くもの。
彼らにとっては悔しさを残したまま2023シーズンを終えることになった。
江川湧清と中村仁郎。
江川は右膝の軟骨損傷を受けて9月29日に手術を行い、中村もまた10月24日に内視鏡手術に踏み切り、左膝滑膜ヒダ障害と診断された。両者ともに今シーズン中の戦列復帰は難しく、残りのシーズンはリハビリに専念することになるという。
■3度目の右膝オペにも、江川湧清が落ち込まない理由。
江川湧清が、右膝に違和感を感じ始めたのは7月に入った頃だった。その時はプレーできる範囲の痛みだったこともあって、ケアをしながらそのままトレーニングを続けていたが、ある朝、急に右膝に水が溜まってしまったのだという。
「最初に痛みが出た時もMRIは撮っていたんですけど特に問題はなく…。だけど、9月の初旬にある日突然、朝起きたら水が溜まっていました。前日の練習で打撲したとかでもなかったんですけど。その時は水を抜いたら良くなったし、以降も2回ほど水を抜きながらでしたけど、プレーできるレベルの痛みだったので、そのままやっていたんです。久しぶりにメンバーに入れそうな状況だったし離脱したくないというのもありました。でも、その後もあまりに良くならないからとMRIを撮ったらこれは良くないぞ、と。僕の場合、右膝は過去に2度、前十字靭帯断裂を経験しているのでもしかしたらその影響もあったのか…原因はわからないですけど、軟骨が剥がれかけているので手術をした方がいい、ということになりました。これ以上、プレーを続けたら後々、軟骨移植などもっと大きな手術をしなければいけなくなる可能性もあると言われたので、ここは我慢だと自分に言い聞かせて手術に踏み切りました」
その言葉にもある通り、江川は高校3年生だったV・ファーレン長崎U-18時代と、同チームでのプロ1年目の2度、右前十字靭帯断裂の大怪我を負っている。それもあって「将来的に何かしら影響があるかも」と想像し、普段から練習前後のケアは徹底してきたが今回、同じ右膝にアクシデントが起きてしまったそうだ。もっとも、気持ちの落ち込みはそこまで大きくないという。
「ケガもサッカーの一部だと思ってずっとボールを蹴ってきたので、そこまで落ち込んでいるわけでもないし、3回目の前十字靭帯断裂になるよりは全然マシだと受け止めています。今回のケガは当時よりおそらく半分の期間くらいのリハビリで済むし、来年のシーズン前のキャンプの時には合流できていればいいな…という感じなので。もちろん、シーズン中、チームが思うように結果を残せていない時期に、何も力になれない歯痒さはありますけど、今、自分がやるべきことは来シーズンに向けてこのケガをしっかり治すことだと自分に言い聞かせています」
話を聞いたのは手術後、クラブハウスでのリハビリがスタートした10月下旬。その時はまだ、右膝を固定するための装具をつけていたが、11月に入った今はそれも必要がなくなって本格的にリハビリをスタートさせている。
「手術後1ヶ月くらいは、歩く時は必ず装具をつけておかなければいけなかったので、10月中はめちゃめちゃ不便でした。クラブハウスにリハビリにきてもできることが少なく、ピッチ外でも車の運転すらできなかったし、家に帰ってもずっとソファーに座っている感じでした。毎日、奥さんが送り迎えをしてくれて、家でも何だかんだとサポートしてくれて、本当に心強かったです。この1ヶ月であっという間に筋肉が落ちてしまい、右足を触っても柔らかいな〜って感じですけど、そこも特にショックは受けていません。良くも悪くも、僕はケガの経験値が高い分、ケガさえ治ればまた筋肉は取り戻せるし、思うようにボールも蹴れると知っているから。その日を想像しながら…まずは手術が決まってすぐに、奥さんとシーズン中は節制のために我慢していたピザを食べてパワーを蓄えることから始めました。いや…勢い余って1日で食べられんくらい頼んでしまったから、翌日もピザになったので2日連続(笑)。すぐに現実に引き戻されましたけど、手術を終えた今は、さあやるぞ、という気持ちになっているし、ポジティブにリハビリを始めています」
そんなふうに、時に冗談も交えながら明るく振る舞えるのも、おそらくは過去に負った大ケガの経験があってこそだろう。以前、江川に話を聞いた際も当時を振り返り「自分を強くした時間だった」と話していた。
「2回目の受傷はプロになってすぐの時で、練習試合でパスを出した後に相手のスライディングを受けて、変な体重のかかり方をして膝からガクッと落ちちゃったんです。その時は完全には断裂していなかったけど、靭帯が弛んでしまった。でも10ヶ月近いリハビリから復帰した矢先だったし、その辛さを知っているからこそ流石に2回目の手術はしたくない、と。だからしばらくはテーピングをぐるぐる巻きにしてプレーしていたんです。ルヴァンカップに出られそうな立ち位置にいたのもありました。そうやって2ヶ月くらい我慢してやったけど、膝がもう痛すぎて。思うようなプレーも全然できないし、結局観念して手術を受けることにしました。流石に2回目はリハビリの過程がわかるだけに落ち込んだし、気持ちも重くなったけど、でもやっぱり、サッカーをしたいじゃないですか? だからもう、それだけでした。リハビリって本当に毎日、毎日同じことの繰り返しなので気持ちが折れそうになったことも何度もありましたけど『今、強くなったら絶対に今後の自分の力になると』と毎日、何回もそのことを自分に言い聞かせて乗り切りました」
実際、ピッチに戻った際に感じたサッカーをできる幸せは、自分の変化につながった。
「サッカーってミスが起きるスポーツだから、どれだけいいプレーをしようと思ってもミスは出てしまうんです。しかも勝敗を分けるようなミスが出たら…以前の僕なら間違いなく落ち込んでいた。でもケガをしてからは、どんなに大きなミスをしたとしてもサッカーができているでしょ、と思えるようになった。メンバーを外されても、ボールを蹴れているよね、と。結果的に、僕はピッチに戻れたけど、戻れない人だっているし、ケガ以外にもサッカーができなくなってしまった人はたくさんいるのに、僕はサッカーができる。そのことを、リハビリ期間を通して改めて幸せに感じて…以来、仮に自分のミスで試合に負けても『次に取り返せばいい』と。サッカーを取り上げられるわけじゃないんだから、どんとこいや、って(笑)。いいプレーをするために最善の準備をして臨んでそのミスが出てしまったなら、もっと練習するしかないっしょ、って感じで、いい意味で動じなくなったし、ミスが怖くなくなった。それって間違いなく、ケガをしたから心底思えるようになったことだと思います。そう考えてもケガを含めて、自分に起きることには絶対に無駄はない。無駄にするような過ごし方もしたくないですしね。でもまぁ、できればケガはもう、しない方がいいんですけど(笑)」
残念ながらそうとはいかず、再び離脱を余儀なくされてしまったが、彼の中ではまた強くなって戻れると確信しているのだろう。今はとにかくやれることを徹底してやると決めている。JFAアカデミー熊本宇城時代の恩師・宮川真一さんに教えられた『凡事徹底』という言葉を胸に。
「中学生になるにあたってJFAアカデミー熊本宇城に入った時、自分にはすごく自信があったし、なんならチームで一番巧いと思っていたんです。だから毎日のように宮川さんに『本当にプロになりたいなら、先ばかりを見るな。凡事徹底だ。当たり前のことに徹底して取り組まないと道は拓けんぞ』って言われても『はい、はい、わかってます〜』的に流してしまっていた。ちょっと天狗になっていたんだと思います。そのせいか、3年生になったら周りとの差がなくなっていて。3年間、本当にコツコツ頑張っていた選手の方が明らかに成長していたし、彼らは次々に進路が決まっていくのに、僕はなかなか決まらなかった。実際、大分トリニータユースのセレクションに落ち、JFAアカデミーの先輩が行っているからと受けた清水エスパルスユースのセレクションにも落ちましたしね。結果的に長崎に拾ってもらうことはできたけど、その時に初めて宮川さんに言われた言葉の意味がわかったし、以来、細かいことを地道に積み上げていこうと本気で思えるようになった」
今はまだ、「膝の曲げ伸ばしくらいしかできない」としても、辛抱強くリハビリに向き合った先には必ず、走れる日々が、ボールを思い切り蹴れる日々が訪れる。そう信じて、江川は『今』を大事に積み重ねて復帰を目指す。
「また強くなりますよ」
大好きなサッカーを思い切りプレーする、その日のために。
■プロになって初の長期離脱。中村仁郎は『頭を育てながら』復帰を目指す。
中村仁郎の姿をピッチで見かけなくなったのは、9月に入ってから。離脱した直後に話を聞いた際は「左膝の軟骨の骨挫傷というか、軟骨が欠けているのが悪さをしているかも、らしく、歩くだけでもめちゃめちゃ痛いです」と表情を曇らせ、「だけど日々良くなっている気はするので1ヶ月くらい休めば大丈夫だと思います」と話していたが、結果的に1ヶ月が過ぎても快方に向かわなかったため手術に踏み切ったという。それが10月24日だ。
「当初、軟骨損傷は画像的にはごく軽度で、しかも体重のかかる部分ではないことや、水が溜まっているわけでもないということを踏まえて『経過を見ながらだけど、痛みがないなら休まなくても大丈夫』だと言ってもらっていたんです。実際に最初は、痛みも出たり出なかったりでした。ただ、それがだんだん大きくなってきて。それもあって、PRP(血液を利用した再生医療)やESWT(衝撃波)など、できうる治療は全部やってみたんですけど、全然良くならなかったので、MRIでは映り切っていない原因があるのかも知れないと、内視鏡手術に踏み切りました。最悪、中を診て何もなければクリーニングをしよう、という感じでした。そしたらお皿の外側部分の軟骨が逆剥けみたいな感じで剥がれていたらしくて。それが屈伸する際に膝のタナと呼ばれる滑膜ヒダに引っかかって痛みにつながっていたということが明らかになった。後で聞いたら、軟骨を損傷した場所的にMRIでは見つけられなかったそうです。僕としては原因がわかってスッキリしているし、実際、それを除去してもらったら、あの痛みがなんだったのか、って思うくらい、痛みを感じなくなったので、今はすごくポジティブにリハビリを始めています。今シーズンはピッチに戻ることはできないですけど、うまくいけば…膝の状態を見ながらですけど、来年のキャンプには合流したい、できるんじゃないかと思っています。何より原因がわかってスッキリした気持ちでサッカーができるのもよかったです。まずはしっかり治すことを考えます」
高校1年生、ガンバ大阪ユースに所属していた19年に、二種登録選手として出場したJ3リーグでクラブ史上最年少Jリーグデビュー。高校2年生の時にはJ1リーグデビューも実現するなど、注目を集めた中村だが、一方で19年12月には右肘を痛めて手術を行い、翌年も股関節痛を患って離脱するなど、アカデミー時代は、ケガに悩まされてきた。とはいえ、その事実は自分の体を見直すことにつながり、プロになってからは殊更、体に耳を傾けて日々を過ごしてきたという。それに加え、プロ2年目の今年は「頭を育てる」ことも意識してきた。
「始動から4ヶ月くらい過ぎた時に、縦にいくだけ、一人で仕掛けるだけでは自分は生き残れないと強く思うようになり、周りを使いながら自分がいかに活かされるかを考えるようになりました。体格的にも、プレースタイル的にも久保建英くん(レアル・ソシエダ)がプレーモデルというか。久保くんは周りを使うのも巧いし、(周りを)使いながらも最後は自分がおいしいところを持っていけるな、と。なので、最近は特に彼のプレーを参考にしながら、自分に変化を求めています。また、技術を伸ばすことには限界があっても、考えることに限界はないからこそ、最近は、11人で戦うサッカーで活きる自分を作るために『頭を育てる』こともすごく考えるようになりました。今の技術を大事にしながらも、頭を使える選手になることでチーム戦術の中で違いを出せる自分になっていきたいな、と。それが今の自分のテーマにもなっています」
その一方で「本当に今のままでいいのか、プレースタイルを変えるべきか、自問自答したこともあった」と振り返る。今シーズンの公式戦への出場はルヴァンカップ・グループステージ第4節・FC東京戦のみ。プロ1年目の昨年を大きく下回る出場数に危機感を覚えたからだ。
「試合に使われる選手になるために自分のプレースタイルを変えるべきか悩んだ時期もあったんですけど、宇佐美(貴史)さんをはじめ周りの先輩選手にも相談した中で、やっぱりそれは違うのかなと。『FC東京戦やセルティックとのプレシーズンマッチで自分のプレーは通用しないと思ったんか? 俺はそうは感じなかったぞ』と宇佐美さんに言ってもらって、やっぱり変えるべきじゃないなと思ったというか。なぜ今の自分があるのかを考えても、自分の強み、武器で評価してもらってプロキャリアも拓けたわけで、それをなくしてしまうということは、ある意味、自分がプロの世界で生き残る術を捨てることになってしまう。それではこの先のキャリアを長い目で見たときに、きっとしんどくなるなと。だからこそプレースタイルは変えずに、だけど必要だと思うことは取り入れないといけないし、チームスタイルの中での自分も当然考えないといけないから、頭だなと。もちろん、課題と言われているフィジカル面の強化も必要ですしね。今の時代、客観的に見てフィジカルが劣っていると見られる時点で損だということはわかっているので、そこは確実に上げていかなければいけないと思っています」
試合に出られない日々の中で、また膝の痛みで思うようにサッカーができない期間も常にそのことが頭にあったという。だからこそ、手術に踏み切った今も、頭を育てることを意識しながら、リハビリ期間を意味のあるものにしたいと言葉を続ける。
「特にフィジカルのところはこの先、引退するまでついて回ることなので、今回のリハビリ期間にもう一回自分の体にしっかり目を向けて、ケガを治すことと並行してフィジカルを強化することにも取り組みたいと思っています。あとは、去年から在籍している早稲田大学人間科学部eスクールの方も2年生の後期に入って、単位をしっかり取れたので。この先は少し授業数を減らせそうだと考えても、以前は勉強に充てていた時間をそれ以外のことに使えそうな余裕も出てきたので、それをサッカーのために有意義に使えるように、自分なりにまた色々考えて取り組んでいこうと思っています。オフシーズンも返上して、みんなが休んでいる間にどれだけ自分を追い込めるかでこの先の人生が変わると信じているので、頑張るしかないと思っています」
プロになって初めての長期離脱に不安がないわけではないが、アカデミーの先輩で、約2年ものリハビリを経て戦列に復帰した塚元大にも勇気をもらったそうだ。
「この世界には、僕よりもっとケガで苦労している選手がいっぱいいる。中でもすごく身近な存在である2つ上の大くんは、ジュニアユース時代からケガが多かったですけど、これまで一度たりとも怠けるような姿を見たことがなくて。常にストイックにサッカーに向き合っていたし、今回も2年という想像もできないくらいの長い時間を乗り越えて、J1リーグでプレーしている姿を見て、コツコツ積み上げること、逃げずに向き合い続けることが正解だということを改めて教えてもらった。だからこそ自分もしっかりこのケガに向き合って、積み上げていかなければいけないと思っています」
また、思うように進まなかったプロ2年目のシーズンを自分なりにしっかりと消化して来シーズンに向かうためにも、プレーはできずとも最後まで気持ちを切らさずにチームと共に戦うことも心に誓う。
「いつもスタンドから試合を観ているときも、自分が出たらこういうプレーをしたいな、こういうプレーを選択するかも、って想像しているんですけど、それは残りの3試合でも続けたいと思います。といいつつ、僕の場合、ピッチに立ったらチームスタイルより自分のアイデア、やりたいプレーを優先しちゃうんですけど(苦笑)、そればかりでは使ってもらえないし、信頼を得られないということは重々理解しているので。チームの戦い、サッカーは意識しながら、そこにどう個人戦術を落とし込めるのかをしっかり想像して、より良い選手になれるようにプレーを思い描いて、リハビリにもしっかり向き合って、残りのシーズンを過ごし、来年に繋げようと思っています」
中村も、そして江川も、ボールを蹴っている時間だけがサッカーの全てではないことを知っている。プレーができないもどかしさと向き合う中でも現状から逃げず、自分のできうる精一杯で今を過ごすことが、いつか必ず自分の力なるということも。彼らの姿を再び、ピッチで楽しめるのはおそらく来シーズンの序盤。そこには間違いなく、新たな強さを備えた彼らの姿がある。