北川信行の蹴球ノート サッカーで古里・川西を盛り上げる…街クラブ経営の元Jリーガーが描く「SONHO」

サッカー国内最高峰のJ1から数えで8番目。「J8」に相当する兵庫県社会人リーグ2部に、ユニークな街クラブがある。J1のガンバ大阪や当時J3の藤枝MYFCでプレーした小川直毅さん(28)が代表理事を務める「FC SONHO 川西」だ。「SONHO(ソニオ)」はポルトガル語で「夢」という意味。「街のシンボルになればいいと思ったんです。自分が生まれ育った街にサッカーのクラブチームができるのは僕の夢でした。そこに、みなさんの夢を重ねていけたらと思ったんです」と語る小川さんに、クラブの将来像を聞いた。

【写真】ガンバ大阪のトップチームに昇格したときの小川直毅さん(2014年)

■川西市唯一の社会人スポーツチーム

大阪府との境に位置する古里の川西市で、小川さんがクラブを立ち上げたのは2018年。「同学年の仲間たちが大学4年生になって就職も決まり、みんなサッカーをやめると言っていました。僕もいずれやめるときがくる。だったら初心に戻って、いつか一緒にプレーできるところがあったらいいなと思ったんです。当時、僕は現役の選手だったので、みんなでやっといてくれというのがスタートでした」と振り返る。

そこで、古里でクラブチームを設立することにし、自治体などに相談。「川西市でやりたいという思い入れはすごくありました。いろいろ調べてみると、川西市には社会人のスポーツチームが一つもなかったんです。僕自身、川西市をスポーツ、サッカーで盛り上げていきたい。じゃあどうやって盛り上げようかというのがあって、懸け橋としてクラブチームをスタートしようとなりました。タイミングがばっちりと合ったんです」と小川さん。ただ、そのころは、サッカークラブの運営がどういうものかという知識はほとんどなく、試合に勝って楽しければいい、カテゴリーが上かっていったらいいというレベルでしか、考えていなかったのだという。

そもそも、小川さんがサッカークラブの運営に興味を持つようになったのは、ガンバ大阪から2015年に当時J3の藤枝MYFCに期限付き移籍したのがきっかけ。「ある意味、Jリーグの一番上から一番下までを見たというか…。環境も違いますし、(移籍当時は)19歳で最年少だった僕以外の選手は、みんな仕事もしていました。ただ、ガンバ大阪にはガンバ大阪の良さがあるように、藤枝MYFCには藤枝MYFCの良さがあって、チームが上を目指すところをサポーター、地元の街を含めてやっていくのをかなり近くで見ることができました。スポンサーの会社で働いている選手も結構いましたが、結びつきが深くて、いろいろ勉強させてもらいました」と話す。その後、2017年にプレーしたアマチュアのFCティアモ枚方ではサポーターとの密接な関係を新鮮に感じた。チームが立ち上がった2018年にはオーストラリアに渡ってシドニーのセミプロで給料をもらいながらプレーを続けたが、そこではクラブと街の一体感に感化された。小川さんは「川西市でつくったクラブが同じようになればいいなというのが、心の奥底に芽生えました」と述懐する。

■川西市を世界に認知してもらう

その後、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けてオーストラリアから帰国した小川さんは、本格的にクラブ運営に乗り出した。現在、クラブは将来を見据えてアカデミー(育成組織)の整備に着手するとともに、ブロックチェーンを活用したトークン発行型のクラウドファンディング(CF)の「FiNANCiE(フィナンシェ)」などもクラブ運営に取り入れている。その意図を、小川さんは「資金調達の要素ももちろんありますが、僕らのような街クラブが戦っていく上で、何か周りとの違いをつくっていかなきゃいけないというのが一番にあります」と説明する。違いをつくる理由は「川西市を世界に認知してもらう」ため。小川さんは「もちろんサッカーで結果を残したり、自治体と一緒になって大きな施策を打ち出したりとかもありますが、なかなか難しかったりする。そういう中で、何か新しいことはないかな、違う形で盛り上げていけたらいいなというところで、参入させてもらいました」と強調した。

J1のアビスパ福岡や湘南ベルマーレ、バスケットボール男子Bリーグの大阪エヴェッサなど多くの有名スポーツクラブもトークン発行型のCFに取り組む中、「FC SONHO 川西」はサッカークラブの中でトークン値上がり率の1位を狙うなど、「違う戦い」(小川さん)にも挑んでいる。小川さんは「(サッカーそのものの)実力じゃない部分で勝負できるのは、サッカークラブの一つの楽しみ方としてはいいのかなと。違う視点で僕らを知ってもらうことができ、参入してよかったと思っています」と感想を話す。元日本代表の本田圭佑氏がルールを考案した10歳以下の全国大会につながる競技「4v4」のオーガナイザーにも就任し、大会を川西市で定期開催することも決まっている。

地元を中心にJ8レベルでは異例とも言える数のスポンサー企業を抱える「FC SONHO 川西」は各地域の有力な街クラブと同様に、Jリーグを目指すことを目標に掲げている。クラブの公式サイトには「#川西市からJリーグへ」のスローガンが記されている。

しかし、小川さんは「もちろん、Jリーグに行くことで街が盛り上がるイメージがわきますし、そこを目指さないのも、やっている身としてはどうかなというのもあります」と断った上で「大前提として、応援されるクラブでありたいというのがあります。Jリーグを目指していますし、(目標に)掲げてもいます。ただ、絶対に行かなきゃいけないとは思っていません。街をスポーツで盛り上げたい、街のアイコンになりたいという思いの方が強いので、(Jリーグ入りは)それの一つの手段でしかありません。Jリーグに行かなくても、街に認知され、街の人に応援してもい、同じようなことができればそれで満足です」と正直に打ち明ける。その上で「基本的には一段ずつ(カテゴリーを)上がっていけたら」と青写真を示した。

■クラブから歩み寄って解決する

チームの立ち上げから5年。小川さんは「目に見えて応援してくれる人が増えたり、チームとして認知されたり、街を歩いていたら応援してくれている知り合いにあったり…。多くの人に応援されていると感じています」と手応えを口にする。一方で「もっといろんな人に知ってもらいたいですし、盛り上げの部分も欠けています。試合を見に来てくれる人も増やしたいです」と希望を話す。試合会場となるグラウンドの確保なども課題の一つだ。

大阪と神戸の間にあるベッドタウンとなっている川西市は「子供のころにサッカー選手になりたいと思ってサッカーを始め、実際にサッカー選手になれた。その過程を歩んだのも川西市」という小川さんにとっては「住みやすいですし、自然豊かで好きな街です」。だからこそ「違う形で恩返しをしていきたいという思いがありますし、夢をかなえる子供たちが増えたらいい。クラブが一つのきっかけになれればと思っています」と強調する。

さらには、子供たちだけでなく、選手のセカンドキャリアの受け皿としてもクラブを考えている。「僕自身、サッカー選手をやめなきゃいけないタイミングで苦労しました。どの選手にもいつか、そのタイミングがやってきます。無視はできません。僕にできることがあれば、やっていきたい気持ちがすごくあります。それが街と結びついたり、チームとつながるのであれば、そういう役割を僕らが担えたらと思います。次の活躍の場を提供できるようなクラブになっていけたらと思っています」と小川さんは言う。実際、ガンバ大阪の後輩で、FC岐阜やFC琉球でプレーした市丸瑞希さんらも所属してプレーするとともに、指導者の道を目指してアカデミーで子供たちを教えていたりする。

今後のクラブ運営については「サッカーの選手とかクオリティーじゃなく、サッカーをいろいろなものにどうひも付けていくか、どう街に浸透させていくか。Jリーグに行きたいというのは僕らの自己満足であって、街の人たち、スポーツが好きな人たち、夢を目指している人たちにどういう影響を与えられるかが僕たちのようなアマチュアの街クラブの鍵になるんじゃないかと思っています。どうやって(多くの人たちを)巻き込んでいくかというところに重きを置いてやっていきたいですね」とした上で「素晴らしいクラブは自分たちが歩み寄らなくても、いろんな人たちが寄ってくるんです。僕らみたいな街クラブは、僕らから一歩、歩み寄る必要があるという認識を持っています。困っていることはありますか、課題に感じていることはありますか、何かお手伝いできることはないですか…。そういうところをサッカー、サッカークラブを通じて解決できるというところにチャレンジしていきたいなと思っています」と前を見据えた。

「FC SONHO 川西」が戦う兵庫県社会人2部リーグは9月3日に後期の日程がスタートする。大会の日程などはクラブの公式サイトで確認できる。

https://www.iza.ne.jp/

Share Button