ガンバ大阪・山本理仁「簡単に試合に出られる、活躍できるとは思っていない」それでも海外移籍を決意したわけ
先輩たちに軽口を叩いてはイジられ、負けじとツッコミ返してはにっこりと笑い、その憎めない笑顔に「理仁やからしゃあないな」と許容される。年齢的には、下から3番目、ガンバ大阪きっての”弟キャラ”で愛された山本理仁が、以前から夢のひとつだと話していた海外移籍を実現する。
行き先はベルギーのシント=トロイデンVV(以下、STVV)。ダニエル・ポヤトス監督を含め、クラブからの慰留には後ろ髪を引かれた部分もありながら、「チャレンジしたい」という気持ちを優先した。
「いつか海外に挑戦したいということはずっと思っていたことのひとつだったので、今回STVVからオファーをいただいた瞬間は、正直『行く』という選択肢しかなかったです。もちろんその後、クラブやダニ(ポヤトス監督)と話をするなかでは、いろんな考えを聞かせていただいて、ここで成長を求めるのもひとつかも、と考えた自分もいました。
ただ、何回か話し合いの場を設けていただいて、自分なりにいろんなことを総合して考えても、『いきたい』『チャレンジしたい』という思いは揺らがなかったので、自分の気持ちを貫こう、と。STVVは過去に鎌田大地選手や遠藤航選手、冨安健洋選手らも在籍した実績のあるクラブで、彼らが結果さえ残せばビッククラブにもステップアップできるという道筋を示してくれたので、自分も『そうなれる』『なりたい』と思い決断しました」
直近の目標として、2024年パリ五輪への出場を目指しているなかで新天地を求めることのリスクは十分に理解している。U-22日本代表にコンスタントに召集されてきた山本でさえ、仮に環境に適応できず、出場機会を失うことになれば”パリ”を遠ざけることになるかもしれない。だが、山本は「パリを目指すためにも、新たな力を備えたい」と語気を強めた。
「ガンバでのこの一年、自分にとってはプロになって初めてJ1リーグの舞台を戦ってきたなかで、そこまでたくさんの試合には出場できなかったですけど、J2とJ1ではプレースピードは全然違ったし、そういうものをふだんの練習から感じ取れたのは自分にとってすごく大きかったです。
実際この一年、代表でプレーする際に、以前にはなかったいい意味での余裕を感じながらプレーできるようになったのも、ガンバで積み上げられた自信があってこそ。また、日本のトップリーグでのサッカーのテンポ、速さというのは他の国にはないものだと考えても、Jリーグで磨けることももちろんあったと思います。
ただ一方で、代表などで国際試合を戦った際に感じたパワフルさだとか、コンタクトプレーの強さ、外国籍選手特有の個々の特徴は、海外に出なければ感じられないものだと思うので。それを毎日、体感できるチャンスがあるのなら、それをつかみたいと思いました」
6月上旬に選出されたU-22日本代表の欧州遠征メンバーには、すでに海外でプレーしている選手も含まれていたが、そうした同世代から受ける刺激にも背中を押されたそうだ。加えて、10代の頃からアンダー世代の代表に名を連ねてきたなかで、その活動を通して感じていたという「世界ではペドリやガビ(ともにバルセロナ)らが当たり前のように10代の頃から活躍している。自分も置いていかれたくない」という思いも決断につながった。
「僕は鈴木唯人(ストラスブール)とも仲がいいし、代表に行けば、自然と海外のいろんな話が聞こえてきます。そのなかで、チームメイトに元フランス代表がいるとか、Jリーグにはいないタイプの選手と対峙しているみたいな話を聞いて、やっぱり(海外に)行かなくちゃ感じられないこと、見えないものはあるんじゃないかというのは素直に感じていたし、それは自分の海外への想いを募らせるものでした。
その一方で、甘くはないことも覚悟しているので。簡単に試合に出られる、活躍できるとは思っていないですが、性格的に適応力みたいなものはあると思っているので。しっかり環境に馴染みながら自分を示していきたいし、今回の海外へのチャレンジは自分にとって、あくまで”始まり”だと考えているからこそ、いろんなものをつかみ取れる一年にしたいと思っています」
その”始まり”の先に描くのは、これも以前から彼が目標だと口にしていた、世界五大リーグでの活躍だ。「STVVで結果を残すことが大前提」としながらも、それを足がかりに着実にステップアップを図り、最終的には五大リーグに辿り着きたいと意欲を示す。もちろん、その過程では日本代表に選出され、2026年のアメリカ・カナダ・メキシコの3カ国で共同開催されるワールドカップのピッチに立つというビジョンも描いている。
「この世界は、ひとつのチャンスを生かせるかどうかで、明日の自分の居場所が変わると言っても過言ではないくらい、目まぐるしく動いていきます。だからこそ、所属チームで試合に出られていないとなれば、次はU-22日本代表に選ばれないかもな、って考えちゃうこともあるし、他のメンバーの試合を見て『こいつが活躍しているからやばいな』って危機感を覚えることもあります。
特に代表は自分が試合に出続けていないと、すぐに序列が変わる場所だと思っているからこそ、本当に危機感しかないです。でも、見方を変えれば、自分が置かれている立ち位置を一日で、一試合で一気に変えられる世界でもあるとも思うので。すべては自分次第だと思っています」
今年の初め、思うように先発のピッチに立てない時間が続いていた際に話していた言葉を思い出す。東京ヴェルディユース時代からの恩師、永井秀樹(現ヴィッセル神戸スポーツダイレクター)にもらった言葉がいつも胸にあるとも言っていた。
「試合に絡めないのは当然、悔しいですけど、外れたことに動じない自分も大事だと思っているので。プロ2年目、思うようにプレーできない時間が続いた時に、永井さんに言われたんです。『チャンスがこないのは恥じるべきじゃない。チャンスがきた時に自分のパフォーマンスを出せなかったことを恥じるべきだ』と。
ちょうどジョエル(藤田譲瑠チマ/横浜F・マリノス)が同じポジションに台頭してきたこともあり、自分が他のポジションをしたり、サブになったりした時期で……。焦りもあって、自分にできないことをやろうとして余計にうまくいかなくなるという負の連鎖に陥っていた時に、永井さんがミーティングの最後にみんなに向かって掛けてくれた。それが、当時の自分にすごくハマったというか、めちゃめちゃ響いたし、以来、ずっと頭にあります。
特にガンバでの自分にもすごくフィットする言葉なので。現に、メンバー外になった時もあまり重く考えすぎず、『その時間を使ってパーソナルトレーニングを入れればいいや』くらいの感覚で過ごしています。
というのも以前、(鈴木)唯人も言っていましたけど、試合に使われるか、使われないかは監督次第ですから。実際、彼もそうやって自分の成長にフォーカスを当てて過ごしてきたはずで、だから清水エスパルスでの最後のほうはあまり試合に出られなかったのに、五大リーグでプレーするチャンスをつかめた。
だからこそ僕も、試合に出られるかどうかに気持ちを揺らしている暇があったら、自分を磨く期間だと受け止めて、成長することにフォーカスして過ごしたほうが絶対にいい。つまり、チャンスがきた時に何ができるか、だと思っています」
恩師にもらった金言はおそらく、今回のチャレンジにあたっても山本の未来を切り拓く言葉になるはずだ。大きな壁が立ちはだかっても、自分に矢印を向けて、やるべきことに真摯に取り組み、成長を求め続けた日々が夢の実現につながったように、今回の期限付き移籍を本当の”始まり”にできるかはすべて、本人次第。幼少の頃から自身を育ててくれたヴェルディや、わずか一年という在籍期間ながらも「一生の思い出に残る時間になった」と話すガンバで過ごした日々も力に変えて。
「さっきも話したとおり、ガンバでプレーできている事実が、自信やプレーの変化にもつながって、海外のキャリアを切り拓けた。感謝もしていますし、大阪という土地にもようやく慣れてきただけに寂しさもあります。
特に今年に入ってから、日本一のスタジアムで、日本一のサポーターの大声援を受けてプレーできて……自分にとってはもう、本当に半端ない雰囲気でしたから。J2リーグでプレーしていた時代は、3000人すら入らない試合もあったと考えても、こんなにもたくさんの人たちの声援のなかでプレーできて本当にすごくうれしかったし、一生の思い出に残る時間になりました。
自分はここに何も残せなかったですけど、僕自身は本当にガンバにこれてよかったし、ガンバが大好きになりました。これから自分が世界に出て、成功を求めて進んでいった先に、この一年があったから今の自分がいると思えるように、そういう成功を手にできるように、過ごしていきたいと思っています」
期限付き移籍前のラストマッチとなった6月24日のJ1リーグ第18節、鹿島アントラーズ戦では後半、70分からピッチへ。
「ダニはずっと僕の能力を信じ続けてくれていた。前半、秋くん(倉田)が負傷したことで(控えメンバーでは)亮太郎くん(食野)が最初にピッチに立ちましたけど、この状況にある僕を後半、最初のカードとして切ってくれてすごくうれしかった」
2-0で優位に試合を進めながら、終盤、1点差に詰め寄られてからは苦しい時間も続いたが、全員で凌ぎ切り勝利をつかみ取る。試合終了後は、仲間たちから『ガンバクラップ』の先頭に立つよう促され、1ゴール1アシストの活躍を見せた黒川圭介と並んで音頭を取った。実は、この時点ではSTVVでのメディカルチェックが済んでおらず、クラブからの正式発表前の”フライング”だったが、先輩たちにあれよあれよという間に肩車で担がれた”弟”は、新たな船出を祝福され笑顔を見せた。
「発表されてないのに、あの人たちが担ぐから! まだダメでしょ! とは言ったけど止められなかった(笑)」
さらに、山本が加入してからのこの一年は負ける悔しさを味わう試合が多かったが、「今日は勝って締めくくられて本当によかった」と言葉を続けた。
「チームの成長を感じている時だけに、自分も『このチームとともに』って感情も多少はありながら……ただ、やっぱり『チャレンジしたいという』気持ちを大事にしたい。それを後押ししてくれたフロントスタッフをはじめ、クラブに関わるすべてのみなさんに恩返しができるように向こうでしっかり活躍したいと思います。
この半年、海外を目指すうえで、外国籍の監督とやれた経験は財産になったし、ダニから学んだことは今後にも生きるはず。しかも、少し特殊な戦術、サッカーに触れられたことも、この先、きっと意味があるものになると思う。いや、そうできるように、自分なりに解釈して今後に生かしていきたいです」
以前、彼は「プロ2年目に自身のプレーを見失って苦しんでいた時期に、永井さんに教えられて知った」という尾崎豊の『僕が僕であるために』という曲を今も時折、聴いていると話していたことがある。その歌詞で「一番好きだ」と話していた、タイトルになぞらえたフレーズを自分自身に突きつけながら、山本はSTVVで新たなスタートを切る。
山本理仁(やまもと・りひと)2001年12月12日生まれ、神奈川県出身。東京ヴェルディジュニア→ジュニアユース→ユースを経て、2019年の高校2年時に飛び級でトップチームに昇格。同年5月のV・ファーレン長崎戦でJリーグデビューを果たす。2022年7月にガンバ大阪へ完全移籍し、2023年6月にはベルギーのシント=トロイデンVVに期限付き移籍した。10代の頃から世代別代表に名を連ね、現在はU-22日本代表の中軸としても活躍。2023年パリ五輪での躍進を目指す。