「彼のマネをしようとして空回りしていた」ヴェルディの王様だった山本理仁はどうやって挫折を克服し、ガンバ移籍を決断したのか
サッカー日本代表「パリ世代」インタビュー09
山本理仁(ガンバ大阪/MF)前編
まだJリーグが誕生する以前、読売クラブを名乗った時代から、東京ヴェルディは数々のテクニシャンを世に送り出してきた。栄光の時代が過ぎた現在もなお、Jリーグ初代王者のアカデミーからは、”らしさ”をまとった才能が輩出され続けている。
山本理仁もまた、そんな選手のひとりだ。
小学4年生から東京Vのアカデミー(育成組織)で育った山本は、高校2年生だった2019年1月、17歳にしてトップ昇格。同じ年、ユース時代の恩師である永井秀樹監督がシーズン途中にトップチームの監督に就任するや、”秘蔵っ子”はたちまち頭角を現した。
その後、足かけ4シーズンにわたって東京Vで主力を務めたレフティは、昨夏、新天地を求めてガンバ大阪へと移籍。そこでハイレベルな中盤のポジション争いに身を投じ、研鑽を積む日々を送っている。
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── 山本選手はジュニア(小学生チーム)から東京ヴェルディ育ちですね。
「3歳くらいから『つくい中央』という少年団に入って、幼稚園の途中から小3までは家の近くにあったヴェルディ相模原のスクールにも通っていました。小3の時にヴェルディとフロンターレのセレクションを受けて、合格したヴェルディに入った、という感じです」
── ポジションは小さいころからボランチだったのですか。
「小4でヴェルディジュニアに入って、最初はFWをやっていたんですけど、小5の時にふとしたタイミングでボランチをやってからは、ずっとボランチです。
僕はFWをやっていても、そんなに得点に対する意欲が……まぁこれ、FWとしてはよくないと思うんですけど、そんなにがめついタイプでもなくて(苦笑)。それよりも相手の逆を取るプレーに喜びを感じていたので、むしろ中盤に下がって球に触る機会も増えて『こっちのほうが楽しいわ』って感じでした」
── その後も東京Vひと筋で、トップ昇格までたどり着きました。
「やっぱりヴェルディっていうクラブは(同じ)ヴェルディグラウンドでジュニアからトップまでやっているんで、トップも身近に感じられた。そこでやることが(プロへの)一番の近道だと思っていました」
── 当時から東京Vアカデミー出身の先輩たちは数多くJリーグで活躍し、日本代表にも選ばれていました。
「めちゃくちゃ誇らしかったというか、先輩が代表に選ばれることによって、僕らもそこに行けるんじゃないかって希望が持てた。僕らがジュニアの頃は、中島翔哉(現アンタルヤスポル)くんの代が高3の時のプレミアリーグをよく応援に行っていたし、僕らのヒーローでした。あの代を間近で見られる環境にいたことは、すごく大きな財産だったのかなって思います」
── 山本選手自身も、まだ高校2年生だった2019年1月にトップ昇格しています。
「ユースに入って1年目に、永井(秀樹監督)さんからは『もう来年(2018年)にはトップに上がってないと』って言われていました。自分もなるべく早くその舞台に立つことを意識していたので、(高3でのJ2デビューを)そんなに早いとは思ってなかったです。
(年代別日本)代表で一緒にやった中村敬斗(当時ガンバ大阪・現LASKリンツ)くんや、菅原由勢(当時名古屋グランパス・現AZアルクマール)くんが高2でデビューしていたので、そういった意味でも早いとは思わなかったし、むしろ自分も早く出なきゃっていう危機感を持っていました」
── トップ1年目の2019年はJ2で22試合に出場し、翌2020年は35試合出場。順調にステップアップしている実感は?
「いや、全然なかったですね。正直、1年目は自分のなかでも、割とうまくできた感覚はあったんです。
ただ、2年目になると、ジョエル(藤田譲瑠チマ/現横浜F・マリノス)が試合に出始めた。もともとキャンプから自分がアンカーをやっていたんですけど、だんだんと彼がそこをやるようになって、自分はサイドバックだったり、インサイドハーフだったり、たまにベンチに回ることもあって……。
自分は昔から(常に飛び級で)上の代でやってきて、自分の代にそうやって自分より(試合に)使われる選手はいなかったので、それで変にいろんなことを考えちゃって、空回りしている感じがありましたね。だから2年目は全然、納得のいくシーズンじゃなかったし、今思えば伸び悩んだというか、楽しくサッカーをやれてなかったなって思います」
── それまでのように、お山の大将ではいられなくなった。
「言い方は悪いですけど、もう王様としてやっていたんで。そういった(ポジションを奪われる)状況が今までなかったから、どうすればいいのかわからなかった。だからもう、どんどんドツボにハマってった感じで、あのシーズンは正直、いい思い出がないです」
── まだ18歳だったにもかかわらず、トップチームで試合に出られないことが、そんなにも悔しかったのですか。
「試合に出られない経験がそれまでなかったからっていうのもあったし、そのなかで(同学年の)ジョエルにポジションを奪われたっていう……、まぁ、いらんプライドみたいなものが邪魔していたというか。
今となっては、何でそんなバカなことしていたんだって思うんですけど。まったくタイプも違うのに、彼のマネをしようとして空回りしていたって感じですね」
── 藤田選手のマネとは?
「やっぱり守備が彼のよさだったし、アンカーとして相手の攻撃を回収する能力に長けていたから、それでチームがずっと攻撃を続けられて、うまく回っていた感じがありました。
でも、当時の自分はヒョロヒョロで、同じことがまったくできない。守備ばかりにフォーカスしちゃって、自分のよさが全然出せなくなりました」
── それでも、翌2021年も30試合に出場しています。自分との折り合いはつけられたのですか。
「試合に出てはいたんですけど、自分のプレーには納得できていませんでした。2021年は(アンカーに)加藤弘堅選手が起用されることが多くなった時期があって、そこでチームも5連勝して……。
その時、ふと『守備で勝負しちゃダメだ』って思ったんです。そこで勝負しても自分よりいい選手はたくさんいるし、自分は昔からスルーパスや相手の逆を取るプレーに喜びを感じていたんだから、『やっぱ、自分はそっちだろ』っていう頭になりました。
試合に出られなかった時期が、今思えばよかったというか……。その時期があったから、気づくことができたのかなって思っています」
── モヤモヤは完全に晴れましたか。
「それ以降はクリーンになりました。そのいいきっかけになったのは、東京オリンピック(に出場するU-24日本代表)のトレーニングパートナーとしてキャンプに呼んでもらった時ですね。
田中碧選手とか遠藤航選手とか、いろんなボランチの選手を見ているなかで、自分に求められていることは何だって考えた時に、自分の方向性が定まった気がします。最低限、守備のところはやれなきゃいけないけど、今こうやっていいバランスでできているのは、あそこに行けたことがひとつのターニングポイントだったのかなって思います」
── そして昨夏、シーズン途中でガンバ大阪へ移籍。なぜこのタイミングで移籍を決断したのですか。
「その時期(2022年7月)に行なわれたE-1選手権で、同じ世代からジョエル、細谷真大(柏レイソル)、鈴木彩艶(浦和レッズ)の3人がA代表に選ばれて、やっぱり悔しかったし、早くレベルを上げないと置いていかれるっていう危機感もあって……。
J2にいてはそこに入れないと思ったし、J1で活躍して早く入りたいっていう気持ちがあった。なので、オファーをもらった時は「行きたい!」っていう気持ちが一番でした。
ただ、恩返ししきれてないまま、育ててもらったクラブとこういう形(シーズン途中の移籍)でお別れするのがいいのか……っていう葛藤もありました。
でも、世界で見たら21歳は若くない。やっぱりレベルアップが求められていたし、最終目標は世界でやることなので。ヴェルディは居心地がよすぎたので、そこを離れて新しい環境でやらなきゃいけないって思ったのも、移籍を決断した理由のひとつです」
── 移籍直後に骨折が見つかったこともあり、実質、今季がG大阪での1年目。J1で出場機会が少ない現状をどう捉えていますか。
「(中盤の)真ん中3枚の壁は高くて、チャンピオンズリーグにも出ていたネタ(・ラヴィ)、身体能力が高いダワン、それにヒデ(石毛秀樹)くん、宇佐美(貴史)くんとか、もう本当にJ1でもトップレベルの層の厚さだと思います。
もちろん、選手としては試合に出たいし、出なきゃいけない焦りもあります。だけどそれ以上に、あのなかで練習ができることに意味があるし、日ごろの練習から盗めるものはたくさんある。試合に出られない時に得られるものもあるっていうのは、経験から学んだことのひとつでもあるので。
だから、このクラブに来てすごくよかったなって。なんとかスタメン争いにしがみついて、負けずにやっていきたいなって思っています」
── 東京V時代の試合に出られなかった経験が生かされている、と。
「これが一発目の挫折だったら、相当しんどかっただろうなって思います。慣れない大阪の地で、今までなかったようなことが起きたらパニクっていただろうし。
だから、あのヴェルディでの経験があってよかったなって、あの年は意味があるシーズンだったんだなって、今なら思えます。当時はそんなこと、まったく思わなかったんですけどね(苦笑)」
◆山本理仁・後編>>夢の海外移籍へ「オンリーワンのものを追求していけば…」
【profile】
山本理仁(やまもと・りひと)
2001年12月12日生まれ、神奈川県相模原市出身。東京ヴェルディジュニア→ジュニアユース→ユースを経て、2019年の高校2年時に飛び級でトップチームに昇格。同年5月のV・ファーレン長崎戦でJリーグデビューを果たす。2022年7月にガンバ大阪に完全移籍。U-15から各年代の日本代表に選出されており、昨年はドバイカップU-23優勝やU23アジアカップ3位に貢献。ポジション=MF。身長179cm、体重73kg。