なぜ…欧州で活躍できなかった日本人選手(10)失った居場所…日本最高のキャプテンが見た悪夢
近年では多くの日本人選手が海外クラブへ移籍している。しかし、中田英寿や中村俊輔、香川真司のように活躍できた選手もいれば、チャンスを掴めずにJリーグに復帰する選手も少なくない。今回は、海外クラブで活躍できなかった日本人選手を紹介する。今回は第10回。(※成績などのデータは『transfermarkt』を参照)
DF:宮本恒靖
生年月日:1977年2月7日
主な所属クラブ:RBザルツブルク(オーストリア)
のちに日本代表で主将も務めた宮本恒靖がガンバ大阪でトップチームデビューを飾ったのは1995年だった。1997シーズン・ファーストステージ後半戦から定位置を確保すると、2000シーズンにはキャプテンに就任。2005シーズンには、クラブ史上初のJリーグ制覇を成し遂げた。
宮本がRBザルツブルクへ移籍したのは、2007年1月のこと。シーズン途中の加入ながらすぐに出場機会を得ると、同シーズンのリーグ優勝に貢献した。翌シーズンにはコンスタントに出場すると、同年12月には契約を1年半延長する。初の欧州リーグ挑戦は順調かに思われた。
しかし、2008年1月に左太腿裏の腱を断裂。約7ヵ月ぶりの戦線離脱を強いられてしまった。同年8月には国内カップに出場したが、08/09シーズンから就任したコー・アドリアーンセ監督の下では出場機会が減少。復帰後はリーグ戦での出場機会が無く、活躍の場を失った宮本は2009年1月ヴィッセル神戸への移籍を決断した。