<ガンバ大阪・定期便57>『沼』から抜け出した福岡将太が右サイドバックで示したかったこと。
■慣れない右サイドバックで示した輝き。
ルヴァンカップ・グループステージ第2節、セレッソ大阪戦。この試合に懸ける福岡将太の決意をまざまざと見せつけられたのは前半立ち上がり、17分のシーンだ。高い位置でボールを受けた福岡は相手DFに囲まれながらも抜け出し、グラウンダー気味のクロスボールをゴール前中央のファン・アラーノに送り込む。残念ながらアラーノのシュートは相手のGKに弾き出されたが、福岡の胸の内が透けて見えた。
「ほぼやったことのない右サイドバックで、普段とは景色も全く違ったけど自分のやるべきこと、特にビルドアップのところは出せたシーンだったと思います。最後のパスの質ところは…それ以外のシーンも含めて精度を上げるというか、効果的なパスをもっと出せたかなという反省もありますが、攻撃のスイッチ役となって、サイドバックから中に動くとか、ポジションを変えるとか、そういうところはナオ(杉山直宏)と話しながらやれました。また後ろの弦太くん(三浦)や中盤の悠樹(山本)とも試合の中でしっかりコミュニケーションを取ることでうまくボールを回せたし、ポジションチェンジができたんじゃないかと思っています」
意識していたのはサイドバックがしっかりと攻撃に絡んでいくこと。今シーズン、ポヤトス監督の求めるサッカースタイルにおけるサイドバックのポジショニング、役割は意識しながらも、そこに『持ち味』を加えることも忘れなかった。
「ここ最近の試合はサイドバックが攻め上がるシーンがすごく少なくて。練習で自分がセンターバックをしている時にも感じていたことですが、少しポジショニングに捉われすぎているなと思って見ていました。だからこそ僕の課題である守備をちゃんとやるのは当然として、状況によっては前線により厚みを出すために思い切って前に仕掛けていこう、と。ダニ(ポヤトス監督)のサッカーを徳島ヴォルティス時代から知っている僕だからこそ(その姿を)示さなきゃいけないと思っていたし、それがチームにいい影響を与えられるようにと思ってプレーしていました」
後半の立ち上がり、50分に山本悠のパスを受けて右サイドをドリブルで攻め上がり、切り返して思い切り良く左足を振り抜いたのも、その意識がプレーで表現されたシーンだ。イメージ下にあったのは、アーセナルのDFオレクサンドル・ジンチェンコやリヴァプールFCのDFトレント・アレクサンダー・アーノルドのプレー。この日はほぼぶっつけ本番の急造・右サイドバックではあったものの、サイドからカットインしてゴール前に持ち込むなど、機を見て『仕掛ける』ことで相手に脅威を与えようと考えた。
「今週に入り瑠(高尾)が胃腸炎ということで…ダニに言われたわけじゃないけど、メンバー構成的に僕が右サイドバックになるかもと想像し、自分なりに準備していました。週明け最初のミーティングでサイドバックとサイドハーフでのミーティングがあった時にはまだ僕は出ていなかったので、その話は圭介(黒川)に聞きながら、今日の試合だと相手のシステムを踏まえて、弦太から飛ばしパスを入れてもらって自分は内側にポジションを取るとか、自分がボールを持った時に味方を動かしてスペースを空けるとか、より相手が嫌がるポジショニングを意識していて、それはある程度うまくハマったんじゃないかと思っています。そういう意味では最低限、自分がやるべきミッションはできたのかなと思いますが、それ以上のことをやらなくちゃいけないのがプロですから。またサイドバックとしての役割を考えるなら攻め上がった時のセンタリングの精度が良くなかったのも反省です。そこは2〜3回同じことを繰り返してしまったので修正しなければいけないと思っています」
■ポヤトスサッカーへの理解が深い、福岡ならではの言葉。
この日のセレッソ戦で魅せた姿は、2週間ほど前に彼と話をしたときにも描いていたプレーだった。実はその際は、開幕から試合に絡めていない状況が続いていた彼がどんな思いで日々の練習に向き合っているのか、自身の現状を受け止めているのかを聞くために練習帰りの彼を呼び止めたのだが、話題はいつしかチームの話に。そこには、いつもチーム全体に目を行き届かせながら『チーム』の中での自分、『チーム』としての戦いを意識している彼らしい、さらに言えばガンバの選手では唯一、徳島時代のポヤトス監督を知る福岡ならではの言葉が並んだ。
「ポジショニングのことを繰り返し言われていると誤解しがちなんですけど、実はダニって、決してそれを絶対にやれと言っているわけではないんです。1つの方法を与えているだけで全部が全部、それをしなくちゃいけないと言っているわけでは決してない。もちろん、練習の段階では、公式戦のように相手がいない中でチームのベースを作っていることもあって、よりポジショニングを求められているような気になるのもわかるし、実際にそれをやらないと試合に出られないのは当然なんですよ。戦術重視の現代サッカーにおいて何でもかんでも自由にやっていいはずもないし、チームとしてのベースがあってこその『変化』でもあると思います。でも試合になれば決して練習と同じ状況、想定していた展開にならないのも当たり前のことで…。だからダニも『アイデアを与えている』という表現をするんだと思います。そういう意味では試合になったら、その時の状況で時に求められているポジションを壊すとか、他の選択をすることもあっていい。実際、ここまでカップ戦を含めて5試合を終えた中で、各々がそういう判断をできているときは、いい時間帯を作れていますしね。もちろん、それをまだまだ経験の少ない若い選手が試合の中で思い切ってやるのは決して簡単ではないのもわかります。でも圭介(黒川)にしても陸(半田)にしても、チームの戦い方によって本来の持ち味が全く出なくなってしまうのは勿体ない。もちろん、繰り返しになりますが、チームでの仕事としてやらなくちゃいけない守備だとか、役割は当然、やった上での話ですけど、状況によって例えば、右サイドバックの陸が内側にドリブルをすることを思い切って選択したなら、そこはセンターバックの2枚と左サイドバックの圭介を含めた3枚がうまくスライドをしてあげればいいわけで、相手ありきの試合ではそういう柔軟性がないと各々が輝きながら理想的に試合を運ぶことは難しくなってしまう。ガンバには個々の能力とかプレーの質がすごく高い選手が多いと考えても、そうやってピッチにいる11人がしっかり状況を判断しながら、チームとしての規律をもとに戦い方を変化できれば絶対に面白いサッカーができると思います」
その言葉を今シーズン初先発のセレッソ戦でのプレーで表現してみせたのも、どんな時も『チーム』のことを考え、行動してきた福岡らしさだろう。
いや、それだけではない。開幕前に彼自身もポヤトス監督が求めるサッカーに苦しみ、自分を見失い、悩んだからこその境地だった。
「開幕前はダニのサッカーを知っていることを自分自身が意識しすぎていたというか、なんなら僕が捉われ過ぎちゃってつなぎのところでミスばっかりしていて。練習試合でも、守備の時にいつも通りに体に当てたつもりがオウンゴールになっちゃうとか、まさにチームの調子が悪い時の、個人バージョンみたいな感じで。やることなすこと悪い方向に行っちゃうみたいな感じで…『あ〜これって自分じゃないよな〜』って思いながらなかなか抜け出せなかった。貴史くん(宇佐美)に『お前、大丈夫か?』って声を掛けてもらった時も『いやぁ、今、完全に沼ってます』って答えたこともありました。そしたら『そういう時もあるから。でも抜ける時は一瞬やから、腐らずに続けろ』と言ってもらってそうだよな、ってすごく力になったし、何よりこのクオリティのある選手が多いガンバで、今のモヤモヤした自分が使われないのも、メンバー入りができないのも頭のどこかでは当然だと受け止めていたのでとにかく自分に矢印を向けてやり続けようと。そしたら予想外にもルヴァンの京都サンガF.C.戦で初めてメンバーに入れてもらったんです。出場時間は10分強と短かったですけど、チームとしても結果が出せたあの雰囲気に入れたことで何かが自分の中で吹っ切れた。そういう意味では京都戦が今年最初のターニングポイントになりました」
そして、その『約10分』を更なるステップに、セレッソ戦では「気負い過ぎず、自分らしく戦えた」と振り返った。
「苦しんでいたときはずっと下ばかり見ていて、なかなか顔を上げてプレーできなかったんですけど、今はボールを見なくても扱えると言っても過言ではないくらい、自分の中で意識が変わったし、自信も取り戻せた。これは悩んでいた時に『自信を持ってシンプルにやればいい』と言ってくれたダニのおかげでもあるし、きっとモヤっとした顔をしている僕のことを察して、オフ前になると決まって外食に連れ出してくれたり、しょうもない話で笑わせてくれてリラックスさせてくれた奥さんのおかげ。いつも支えてもらっています」
いうまでもなく、この先にも福岡には厳しいポジション争いが待ち受ける。本職のセンターバックとしては、ここまで練習や練習試合等で基本的に右を預かってきたことを思えば、昨年もセンターバック陣の中で最も長い時間ピッチに立ち、今年もフル出場を続けている三浦がライバルになるし、右サイドバックには日本代表にも初選出されたばかりの半田や高尾もいる。今シーズン、途中出場した試合ではいずれも左サイドバックを預かったものの、そこには昨年からレギュラーに定着している黒川や百戦錬磨の藤春廣輝が立ちはだかるだろう。
それでも、福岡が心をざわつかせることはないはずだ。
「自分に矢印を向けてやり続ける」
その先にしかチャンスも、ピッチで戦う楽しさも味わえないと知っている彼ならば。