藤本淳吾が語る現役生活の「心残り」。半年の浪人と相模原での2年半、抱いた期待感と新たな気づき

●「すごく悔しかったなというのが一番」

2022シーズン限りで現役引退した元サッカー日本代表MF藤本淳吾の記者会見が12日に行われた。SC相模原を昨季限りで契約満了となった藤本は、昨年12月27日に現役引退を発表していた。

筑波大学在学中の2005年に特別指定選手として清水エスパルスの一員となった藤本は、正式に清水に加入した翌年から17年間でJリーグ通算418試合に出場。日本代表としても2007年3月のデビューから13試合に出場した。Jリーグを代表する選手の1人だったが、本人にとっては心残りがあるという。

「本当に楽しいサッカー人生で、心残りはチームとしてタイトルが取れなかったこと。どの大会も2位で、すごく悔しかったなというのが一番あります」

清水では2008年にJリーグ杯、10年に天皇杯の決勝で敗れた。前年に優勝した名古屋グランパスに加入した11年はリーグ2位、ガンバ大阪に加入した16年もJリーグ杯準優勝。新人王と2度のベストイレブンと個人タイトルを取ったものの、チームタイトルとは無縁だった。

その後、藤本は19年夏に京都サンガに期限付き移籍してキャリア初のJ2を経験し、シーズン終了とともに保有元のガンバとの契約が満了に。藤本は選手キャリアのターニングポイントを迎える。翌年の新型コロナウイルス流行も重なり、約半年に渡って所属クラブがない状況が続いた。

「(所属先が)決まらない半年間は(母校の)桐光学園に協力してもらって、練習参加をさせてもらっていた。そういったつながりに感謝しないといけない。相模原に入ったときは最初、シャワーがなかったり(環境の部分で)びっくりしたこともあった。でも、これまで自分がどれだけいい環境でできていたのかを気づかされた」

●相模原でプレーするモチベーションと期待感

藤本は半年間の浪人を経て20年8月に相模原に加入する。当時J3だった相模原の環境はこれまでに在籍した清水やマリノス、ガンバといった環境が整ったクラブとは対照的なものだった。

「同じカテゴリーでも凄くいい環境だってあるけど、そういう人たちには負けたくないという気持ちがさらに強くなった。自分たちで結果を出して、行政や相模原の人達にもっと知ってもらいたい、自分たちの結果で変えていくんだという気持ちが強かった。ちょうどDeNAが(経営に)入ったタイミングで、これから変わるという期待も込めながら」

20年にチームはJ2昇格を果たしたが、21年は藤本がチームトップの7得点を挙げたが、1年でJ3降格という厳しい結果に。藤本は22年も31試合に出場したが、チームはJ3最下位という厳しい結果に終わった。所属クラブがなかった半年間と相模原での経験は、指導者の道に進む今後に活かされるはずだ。

「こういう環境があったというのを口で言うのは簡単ですけど、それをどう伝えるかだと思う。こういう環境で一生懸命やっている選手もいるし、今いい環境でできている選手にはそこで満足してほしくない。この経験が指導者としてどう生かされるかは分からないですけど、選手として経験できたのは良かったと思っています」

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