元日本代表・名良橋晃が選んだ歴代日本人右サイドバックトップ10。「神出鬼没」「涼しい顔で上下動」「世界に見せたかった」選手たち
元日本代表・名良橋晃インタビュー
◆【画像・写真】加地亮が選んだ、歴代日本代表サイドバックベスト10
サッカー日本代表や鹿島アントラーズなどで活躍したレジェンド選手、名良橋晃氏をインタビュー。スポルティーバの数々のサイドバックランキング企画で度々登場してきた名良橋氏本人に、長年プレーした「右サイドバック」限定で歴代日本人のトップ10を選んでもらい、その評価を聞いた。
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神出鬼没サイドバックの元祖
10位 安藤正裕(元清水エスパルスほか)
清水エスパルスでプレーしていた時が一番印象的でした。とにかくキックの精度が抜群で、アウトサイドやインステップ、インフロントなど球種も豊富というのが彼の特に優れていた点だと思います。
僕は逆サイドから絞って、安藤選手が入れたクロスボールを跳ね返すことが多かったんです。だから、キックの多彩さはより身をもって感じていました。
当時はキックをあれほど多彩に操れる選手はほかにいなかったですし、キック一つで観客を沸かせることができた選手でした。逆に僕はキック精度がなかったので、羨ましかったです。
対人守備も強くて、サイドを駆け抜けるスピードもあって、いつも逆サイドから見ていて惚れ惚れしていました。当時から注目はされていたとは思いますが、もっと注目されてもいいサイドバック(SB)でした。
9位 菅井直樹(元ベガルタ仙台)
菅井選手は勝手に「きんちゃん」と呼んでいるんですけど、仙台のバンディエラという存在でしたよね。
今では川崎フロンターレの山根視来選手が、前線に積極的に絡んで「神出鬼没」と言われていますが、菅井選手はその元祖と言えるSBでした。本当に「なんでそんなところにいるの?」という位置にいたりして、攻撃的なセンスがずば抜けていました。
僕も攻撃的なSBではありましたけど、僕以上にゴール前へ行く迫力がありましたし、得点感覚も優れていたので結構ゴールも決めていて、すごく羨ましかったですね。
SBの攻撃参加は相手DFとしては非常にマークしづらく、守るのが難しいもの。タッチライン際を上下動する従来のSBの概念を、ぶち壊してくれた選手だったと思います。あの頃は間違いなく仙台の武器でした。
涼しそうな顔で上下動を繰り返す
8位 波戸康広(元横浜F・マリノスほか)
波戸選手は、横浜フリューゲルスの最後の年で第78回天皇杯に優勝した時に、準決勝で対戦して、すごくインパクトがあったのを覚えています。
彼はSB以外にも3バックの右センターバック(CB)もできるし、非常にユーティリティ。気が利くし、クレバーな選手でした。
すごく堅実で、ミスが少ないのが印象的でした。その読みだったり、緻密さだったりは、趣味の将棋をやっていたこととつながっていたのかなと思いましたね。
横浜フリューゲルスから横浜FM、柏レイソル、大宮アルディージャといろんなクラブでプレーしましたけど、どのクラブでも監督としては非常に計算が立つ選手だったと思います。攻守に無駄がなくて、スピードもあって、相手からすると嫌な選手でした。
7位 徳永悠平(元FC東京ほか)
徳永選手は皆さんもご存知のとおり、まさに鉄人でした。とにかく体が強靭で、ケガにも強く、フィジカルの強さはSBとしては際立っていました。高さがあったのでCBもできるユーティリティな面もあって、「CBもできるSB」の先駆的な選手でした。
基本は守備から入りながら効果的に攻撃参加ができる選手で、スピードとスタミナも豊富だったから、今の時代に徳永選手がいたらヨーロッパのクラブでもプレーできたでしょう。
上下動を繰り返すなかで、キツそうな顔をしないんですよね。涼しそうな顔で淡々とプレーしている印象が強くて、まるで必殺仕事人という感じでした。そこのタフさは、国見魂(国見高校出身)を持ち続けていたところなのだろうなと思わせる選手でした。
6位 駒野友一(FC今治)
駒野選手は左右どちらでも遜色なくこなせて、一体どっち利きなんだというくらいの左右のキック精度が抜群ですよね。なおかつスピードもあって、走力的にタフに戦える。SBとしてお手本のような選手です。
経験があるし、戦術理解度も高いので、どんなチームでも監督が求めていることを確実にやってくれるし、そのなかで自分のよさも出せる柔軟性も持っています。
いつどのタイミングで上がるべきかの判断が的確。SBは無駄走りが必要だと言われますけど、本来なら無駄にならないのが一番です。その点で駒野選手はその判断に優れていて、だからこそあの年齢でも現役を続けられているのだと思います。
ライバルだと思ってきたサイドバック
5位 酒井宏樹(浦和レッズ)
酒井選手は説明の必要がないくらいですよね。パワフルで対人に強くて、スピードもあって。柏レイソル時代の若い頃から注目していました。当時はレアンドロ・ドミンゲスからボールを受けて、アーリークロスを入れるというプレーが印象に残っています。
そこからブンデスリーガではハノーファー、リーグ・アンではマルセイユと渡り、チャンピオンズリーグも経験して、日本を代表するSBに成長しました。
若い頃は勢いでやっている部分もあったでしょうが、経験を積んで周りを生かすことができるようになって、自分も前へ出て得点に絡める。守備ではネイマールをはじめ、身体能力や個人技の突出したアタッカーとの対戦で揉まれ、対人守備で掴んだものはたくさんあると思います。
もともとの攻撃力に加え、抜群の守備の安定を身に着けて攻守に隙のない選手になりましたよね。30歳を超えても攻守に強度は落ちていませんが、ケガがちなのが少し気になるところです。
カタールW杯のメンバーに選ばれると思いますので、どんな活躍をしてくれるのか楽しみです。
4位 市川大祐(元清水エスパルスほか)
イチのことは、僕はずっとライバルだと思ってきました。17歳で日本代表に抜擢されて、「岡ちゃんの恋人」なんて言われて、「なんかすごい選手が出てきたな」と感じましたね。
代表に呼ばれたあとの鹿島対清水で、いつもは右サイドのイチが左サイドに回されていて僕と対面したんですよ。その時はものすごくモチベーションが上がりましたね。すごい選手なのはわかるけど、高校生に負けるわけにはいかないと雑草魂でプレーしていました。
イチはまるでカモシカのような選手というか。線は細かったけれど、スピードは本当に一級品。テクニックもあって、キック精度も抜群でした。1998年フランスW杯のメンバーからは漏れてしまいましたけど、これからの日本を背負って立つSBの第一人者として活躍していくんだろうなと思っていました。
17歳で日本代表に選ばれた時は、正直羨ましかった。ただ、相当なプレッシャーもあって苦労もしたでしょう。でもそれを跳ねのけて、2002年日韓W杯のチュニジア戦では中田英寿選手のゴールをアシストしました。
いろんなクラブを渡り歩きましたが、やはり清水での活躍がもっとも印象的ですね。当時の日本平はイチとかアレックス(三都主アレサンドロ)とか、サイドの選手が上がると盛り上がっていました。そのくらい愛された選手でしたね。
3位 加地亮(元ガンバ大阪ほか)
加地選手はスピードがあって、上がっていくタイミングが絶妙なんですよ。そのオーバーラップから放たれる右足クロスの精度が、また本当に抜群でした。
足元の技術も高く、今はSBに中盤での組み立てなども求められる時代ですが、彼はそういうプレーも難なくこなせた。引き出しの多い選手でした。
2006年ドイツW杯を経験し、ジーコジャパンでは代えの利かない選手でした。ただ、前年のコンフェデレーションズカップのブラジル戦で惜しい決定機があったんですよ。あれを決めていれば世界に羽ばたいて行ったんじゃないかと思っていて、それくらい能力もポテンシャルも高い選手でした。
セレッソ大阪や大分トリニータ、FC東京、G大阪、MLSのチーヴァスUSA、最後はファジアーノ岡山と本当にいろんなクラブで活躍しましたが、徳永選手や駒野選手もそうですけど、SBの仕事を淡々とこなせて、監督からの信頼は厚く、非常に計算が立つ選手だったと思います。
世界に見せたかった選手
2位 内田篤人(元鹿島アントラーズほか)
篤人は、いい意味で憎たらしいほどイケメンですよね(笑)。線は細いけどスピードがあって、攻撃のセンスは抜群。淡々と仕事をこなしていくけど、すごく負けず嫌いで1対1の強さがありました。
鹿島や海外に渡って多くの選手とプレーすることで、中盤での組み立てなどいろんなプレーを覚えて、なかでもワンタッチコントロールで前を向けるプレーは際立っていました。日本において現代的なSBの元祖かなと思います。
彼を初めて見た時は「すごい選手が入ってきたな」という印象でした。高校3年生の時に鹿島に練習参加で来たんです。普通の高校生なら物怖じするものですけど、試合前のミニゲームでも淡々とプレーしていました。
覚えているのが、篤人は相手チームだったので、僕は股抜きを狙ったんですね。プロの練習に初めて参加して、普通なら目の前のことに必死で股抜きなんか狙われたらあっさり通されてしまうものですけど、篤人にはうまく股を閉じられた。「これは肝がすわってるな」と思いましたね。もうここで何年もプレーしているかのように落ち着いていました。
鹿島に入団が決まった時は、後輩というよりライバルでした。すぐに日本代表に呼ばれるのは当然で、W杯でも活躍して、世界にも遅かれ早かれ出ていく選手だとも感じました。
僕が鹿島を出ていく時は2番をつけてほしいと思い、受け継いでくれたのは嬉しかったですね。
1位 山田暢久(元浦和レッズ)
暢久はジーコジャパン時代に一緒になったこともありますけど、もっと欲があれば絶対に世界へ行けました。そのぐらい身体能力が高い選手で、強烈に印象に残っています。上背はないけどヘディングは強かったし、対人でも負けないスピードがあって、本当に攻守に隙がなかった。
SBでしたけど、CBやボランチ、トップ下など、GK以外ならどんなポジションでもできるほど、真の意味でのユーティリティ性を持っていました。なんならGKもできたんじゃないかと思います(笑)。
それだけに、繰り返しになりますけど欲があれば、どこへでも挑戦できた選手でした。ただ、そういうところも彼のプレースタイルなんでしょう。それが、クレバーだったり、淡々とプレーできるところにもつながっていたと思います。
本当にやろうと思えば、90分通してハイレベルなプレーをできる選手だったので、僕からしたら羨ましいし、もったいないなといつも感じていました。世界に行けたというか、世界に見せたかった選手です。
名良橋晃 ならはし・あきら/1971年11月26日生まれ。千葉県千葉市出身。千葉英和高校からフジタ(現湘南ベルマーレ)に入り、その後のベルマーレ平塚で右サイドバックとして活躍。1997年からは鹿島アントラーズで10シーズンプレー。2007年に湘南ベルマーレに復帰し2008年に引退した。J1通算310試合出場23得点。日本代表ではAマッチ38試合出場。日本が本大会に初出場した1998年フランスW杯でプレーした。引退後は育成年代の指導や、解説者を務めている。



