伊東純也から飛び出る衝撃エピソード。「骨折していても気づかずプレー」「プラチナ世代という言葉すら知らなかった」

伊東純也(ゲンク)インタビュー@前編

以前からコアなサッカーファンの間では、抜けて評価の高い存在だった。しかし今シーズン、これほど全国的に知名度を上げた選手もいないだろう。昨年11月から今年2月にかけて歴代最多タイとなる最終予選4試合連続ゴールを決めて、幅広い層にその名を知らしめた。

【貴重写真】伊東純也ベルギーでのオフショット撮り下ろし

伊東純也、29歳—-。常に右肩上がりで成長し続ける「スピードスター」は、いまや日本代表に欠かせぬピースだ。柏レイソルから海を渡って4年、伊東は今シーズンをどう感じているのか。インタビュー前編では、初のアシスト王に輝いたベルギーリーグでの1年を振り返ってもらった。

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—- まずはゲンクでの今シーズンを振り返って、いかがでしたか?

「チームの結果はよくなかった(レギュラーシーズンは8位→プレーオフで6位)ですが、自分ができることはやりました。個人的にはいいシーズンでした」

—- ベルギーリーグでは8ゴール18アシストでした。よかった要因は?

「とりあえず、数字だけは出そうと思っていました。昨シーズンがめちゃくちゃよかった(11ゴール16アシスト)ので、『去年以上は無理だな』と思いながらやりましたけど(笑)、なんとか今季も近い数字までいけたのでよかったです」

—- 結果、アシスト王という個人タイトルもついてきました。

「そうですね。(一拍置いて)……まあ、よかったです」

—- あまり個人タイトルへのこだわりはないのですか?

「世間的にはいいですね。でも、別にアシスト王になろうと思っていたわけではないので」

—- それでは、目指していたものは?

「とりあえず結果を出そうと思っていたら必然的になんか(アシスト王がついてきた)。もっと点を獲りたかったですね。アシストが多くなっちゃいました(笑)」

—- ピンポイントのクロスが光りました。

「クロスは一番練習しています。また、試合ではできるだけ多くクロスの本数を打てればいいかなと思います」

—- 長身ストライカーのポール・オヌアチュとはクロスの息が合っていますね。

「彼とはクロスの部分では合いますね。ほかのところでは合わないですけれど(笑)」

—- ボールをつけるとか、リターンをもらうとか?

「そういったところは本当に合わないです。けれど、クロスの部分では強みを出してくれます。ポール(オヌアチュ)もそこだけにかけているんで。でも、彼はいいクロスを入れると外すんです(笑)。むしろ、『あ、ミスっちゃった』って思ったクロスを決めてくれます」

—- 念のための確認ですが、まさかわざとタイミングをずらしてクロスを蹴っていることは……。

「それはないですね。さすがに彼も全部外すわけじゃないので。何回も『決めろよ!』って思いましたけど、こちらがミスったクロスを決めてくれた時は自分にもアシストがつくから……まっ、チャラということで(笑)」

—- ゲンクに来て3年半。その間、6人もの監督(暫定除く)のもとでプレーしました。

ヨン・ファン・デン・ブロム監督(2020年11月~2021年12月在籍/現タアーウン監督)の時が一番よかったと思います。フィーリングがとても合いました」 —- どういう点でよかったですか? 「やっぱり点を獲れてましたね。テオ(ボンゴンダ)、ポール、自分の3人で100点以上に絡んでいたので(※3人で69ゴール42アシスト。伊東は12ゴール22アシスト)。ある程度、チームとして規律は必要ですが、アタッカーは適度に自由な役割を与えられたほうがやりやすいですね」

—- 監督が次々と入れ替わるなか、伊東選手は常に試合に出続けました。なかには大変な監督もいたのでは?

「自分は右サイドからの仕掛けが得意ですが、右利きを左サイドに、左利きを右サイドに置きたがる監督がいたので、その時は(右サイドでプレーしたいと)意見を言い続けました。そしてそのシステムがうまく行かない時、自分が右サイドから結果を出したら、その後も右サイドで使われるようになりました」

— 右サイドからの仕掛けでは、右サイドバックとの連係も光っています。

「ゲンクの右サイドバックは、アンヘロ・プレシアードがエクアドル代表、ダニエル・ムニョスがコロンビア代表なんです。彼らは今、1試合ごと交代で出場していますが、ふたりともよさがあります。

アンヘロはめちゃくちゃ足が速くて、身体能力がめちゃ高い。彼と組むと『俺がもうちょっと使ってあげよう』という気持ちになる。一方、ダニエルはどちらかというと守備がうまい選手だけど、攻撃でもタイミングよく上がってくる感じですね」

—- ゲンクでの最初の2年半は、ヨアキム・メーレ(現アタランタ)との連係は名コンビでした。

「ヨアキムは攻撃が大好き。彼とのコンビが一番よかったですね。周りにもいい選手が揃ってましたし」

—- カタールW杯で日本が準決勝まで勝ち上がれば、デンマーク戦が実現するかもしれません。

「あいつも最近デンマーク代表に入って活躍しているので、お互いに頑張りたいですね」

—- W杯アジア予選を戦うなかで、伊東選手はチーム3位の出場時間を記録しています。鼠径部を痛めてベンチに下っても、次の試合では普通にプレーするなど、タフな印象があります。

「そうですね。小さいケガはちょくちょくあるんですけど」

—- ゲンク入団1年目で腰を痛めた時も、当時のフィリップ・クレマン監督(現モナコ)から「お前は侍だから大丈夫」と言われ、試合に出ていましたよね。

「あの時はめちゃくちゃ痛かったです。だって、腰の骨が折れてましたから(笑)」

—- えっ?

「ずっと痛いなと思っていて、オフに日本に帰って診察してもらったら、『骨が剥離していたけど、治りかけている』と言われました。もう骨がくっついていたので、次のシーズンに持ち越すことなくプレーできましたけど」

—- 骨折していてもプレーする闘志がすごいですね。

「俺、痛みをけっこう我慢できるんですよ。やりながら治す、というイメージ。今まで本当に大きなケガをしてないんですよ。それでなんとかやっていけています」

—- 伊東選手に対するイメージは「俊足」です。しかし、「タフさ」がフォーカスされることはあまりない印象です。

「プロになってから試合をほとんど休んでない。柏の時もたしか休んだのは1試合だったかな?」

—- 伊東選手はプロ1年目のヴァンフォーレ甲府時代、柏レイソルでの3年、そしてゲンクとずっと試合に出続けていますよね。理想的なステップアップを踏んでいるのでは?

「そうですね。海外も早めに来てよかったかな」

—- それはなぜですか?

「年齢の違いはやっぱり感じます。同じ実力だったら若い選手のほうが評価されますよね」

—- 現在29歳。サッカー選手として円熟期です。しかし、伊東選手は今も成長の勢いを感じます。

「同じ年の(遠藤)航(シュツットガルト)もそうです。俺らの年代はまだまだいけるんじゃないかと思います。俺、プラチナ世代のなかでプラチナじゃなかったんですよ」 –

— プラチナ世代(1992年生まれを中心とした世代)と呼ばれ始めたころの主な選手と言えば、宇佐美貴史選手(ガンバ大阪)、高木善朗選手(アルビレックス新潟)……。

「(柴崎)岳(レガネス)もそう。小野裕二(サガン鳥栖)は自分と同じ逗葉高校に通ってました。彼はもうマリノスのトップチームで試合に出てましたね。横須賀市選抜で一緒だったので、小学生の頃から知ってましたけど、差がありすぎて逆に何とも思わなかったです(笑)」

—- プロへの欲が出てきたのは?

「ずっとプロになりたかったんですが、『自分がプロになれる』と現実的になったのは大学に入ってからでした。高校時代は県のベスト32で負けたので、スカウトが見にきてたわけじゃなかったし」

—- プラチナ世代のなかには、宮市亮選手(横浜F・マリノス)のように10代でヨーロッパに渡った選手もいました。

「ぜんぜん知らなかったです。気にしてませんでした」

—- 「プラチナ世代」という言葉を知らなかった?

「プラチナ世代という言葉も知らなかったし、宮市(亮/横浜F・マリノス)くんやほかの選手のことも知らなかったです」

— えっ? 名前すら知らなかったと。

「はい。レベルが上のほうのサッカーに興味がなさすぎて」

—- 当時は何に興味があったんですか?

「大学サッカーだけです。プロの試合もぜんぜん見てなかったので、わからなかったです」

—- ワールドカップも?

「さすがにワールドカップは見てました(笑)。2010年ワールドカップの本田圭佑選手のフリーキック! デンマーク戦のあのシーンが一番印象に残っています」

—- 半年後、あの舞台が待っています。

「結果を出したいですね」

(後編につづく>>伊東純也にゴール量産の秘訣を聞いた)

【profile】伊東純也(いとう・じゅんや)1993年3月9日生まれ、神奈川県横須賀市出身。2015年に神奈川大学からヴァオンフォーレ甲府に入団。翌年に柏レイソルへ移籍し、2017年には日本代表に初招集される。2019年2月からゲンクの一員となり、2000-21シーズンは11ゴールを決めてリーグ優勝の立役者となった。日本代表33試合9得点(2022年6月1日時点)。ポジション=FW、MF。身長176cm、体重66kg。

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