“大阪の血”が生む大胆不敵な歴代アタッカー サッカーの地域性を元Jリーグ監督も実感

森下仁志監督「若手育成の哲学」第3回、大阪でパワープレーは「受け入れられない」

Jリーグ各クラブの下部組織には“育成のスペシャリスト”である指導者が多く名を連ねているが、その中でやや異なる道を歩んできたのがガンバ大阪ユースの森下仁志監督だ。39歳でジュビロ磐田の監督に就任して以降、4チームのトップ監督としてJリーグを戦い、苦い経験も味わいながら再びユース年代を指導し、有望な若手の才能を引き出している。順風満帆とは言えない指導者キャリアを歩みながら、追求してきた森下監督の育成哲学とは――。今回は指導者を続けてきたなかで感じたサッカーと地域性について。学生時代から様々な土地で過ごした森下監督だが、大阪のサッカー文化が自身の哲学に合うという。

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「地域性は改めて大事だと思っています。大阪に戻ってきて、サッカーに文化が染みついているなって」

ガンバ大阪のユース監督、森下仁志(49歳)は言う。和歌山県海南市出身で、プロキャリアのスタートはG大阪だった。

世界のサッカーでは、国ごとではなく、地域色が強い。例えばスペインではFCバルセロナ、エスパニョールのあるカタルーニャと、アスレティック・ビルバオ、レアル・ソシエダがあるバスク地方では、まるでスタイルが異なる。自由や閃きを重んじるか、質実剛健さを愛するかで、サッカーの性質までが変化するのだ。

「その土地の人間味が出るのがサッカー。大阪はストレスがないです。自分の色に近いんでしょうけど」

大阪の居心地の良さというのか。それは高校が東京、大学が千葉、プロでも札幌、磐田といろいろな土地で過ごしたからこそ、行き着いた感覚でもあるのだろう。

関西、大阪、そして“ガンバ”のカラーとは――。森下監督に話を聞いた。

――関西の選手はやんちゃというか、失敗を怖がりません。だからこそ、宇佐美貴史、本田圭佑、家長昭博鎌田大地、堂安律、食野亮太郎(いずれもG大阪下部組織出身)のようなアタッカーがどんどん出てきます。

「この地域の選手は、言われれば言われるほど“やり返す”文化があるというか。とにかく、やり返す精神が凄い(苦笑)。ガードが下がっているように見えて、次の瞬間、殴り返してくるようなところがあります。黙って撃たれ続ける、なんてことはない。絶対に撃ち返す」

――その地域性がクラブを彩っているところはありますね。

「サッカーって地域に文化があると思います。個人的には、そこはとても大事にしたほうがいいと思っていて。大阪に久しぶりに戻ってきて、“大阪には大阪のサッカーがあるな”と感じています。だから、放り込んでのパワープレーだったり、引き込んでのカウンターだったり、というのはなかなか受け入れられない土地柄がある。そうなると、攻撃も守備もアグレッシブに挑むべきだし、それができる選手が出てこないといけない」

G大阪ユースで重視する「俺に出せ」の心意気

Jリーグ監督時代に身に染みた、地域性の大切さ

――大阪のサッカーの地域性に、森下さん自身が合っているでしょうね。他の地域でも過ごしたからこそ、分かることもあるはずです。

「情けない話、反省すべきところは多くて。J2の(ザスパクサツ)群馬の後に大阪へ戻ってきたんですが、身に染みました。“なぜ、その土地のサッカーをしなかったのか”って。当時は監督として、やりたいことをやっていたし、それでいいと思っていたんです。どこでも同じようにやれるっていう過信がありました。

ただ、サッカーってそうじゃない。(アルゼンチンの名将)ビエルサは契約前に、土地を歩いてその町の文化を知ってからサインをするって聞きます。大阪というこの場所で違和感なくやれているのは、自分の発想に近いからでしょう。(G大阪)U-23の監督をやらせてもらった時に、ストレスがないなと思いました。その意味では、人間が出るのがサッカーで。その土地でたくさんの人が生きてきた空気感がサッカーを作っているところはあるし、つくづく地域性は大事だなって思いますね」 (第4回へ続く)

森下仁志 1972年生まれ、和歌山県出身。現役時代は帝京高、順天堂大を経て95年にガンバ大阪に加入。コンサドーレ札幌、ジュビロ磐田と渡り歩き、J1通算202試合9得点、J2通算37試合1得点の成績を残した。2005年の現役引退後は指導者の道へ進み、12年に磐田監督に就任。京都サンガF.C.、サガン鳥栖、ザスパクサツ群馬の監督を経て、19年に古巣G大阪U-23監督となり、昨年からユースを率いている。中村敬斗(現LASKリンツ)や食野亮太郎(現エストリル・プライア)らの才能を引き出すなど、若手の指導に定評がある。

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