【回想】「オリジナル10」5チームのJ2降格の瞬間――週刊SDの記事で振り返る SOCCER DIGEST Web 10月16日(金)12時18分配信

1999年・浦和レッズ――遅すぎた福田投入

 2015年のJ1リーグは、セカンドステージも終盤に差し掛かったが、この先にはチャンピオンシップも控えており、覇者が決するのはまだ先である。

その一方でJ1残留争いでは、間もなく降格チームが決しそうである。最初に崖っぷちに追い込まれたのは、現在、セカンドステージ、年間順位ともに最下位の清水エスパルス。14節のベガルタ仙台戦で勝利を挙げられなければ、降格が決する可能性もある。

清水といえば、1993年のJリーグ創設時から参加している、いわゆる「オリジナル10」の一員である。これまでJリーグステージ優勝(1999)や天 皇杯(2001年)、アジア・カップウィナーズ・カップ(2000年)などの国内外のタイトルを獲得した強豪であり、降格は1度もなかった。

今回、清水がJ1残留に失敗すれば、オリジナル10からは6番目の降格チームとなる。

迫るXデーを前に、ここでは「オリジナル10」5チームの降格の瞬間を、当時の週刊サッカーダイジェストの記事で振り返ってみよう。

――◇――◇――

■Case.1 浦和レッズ

1999年11月27日・駒場
セカンドステージ15節
浦和 1(延長)0 広島

絶好調をキープし、かつ大一番で結果を出し続けてきた男が、なぜスタメンを飾っていないのか。

“駒場のカリスマ”福田正博。浦和というチームを理解する指揮官なら、こんな決断は下さなかったはずだ。吉と出るか凶と出るか、不穏な空気が駒場全体を包んでいた。

ガッチリと最終防衛線を敷く広島に対し、浦和は中盤を省略するロングボールで揺さぶりをかける。だが、ターゲットがぼやけ、セカンドボールさえ拾えない状況で、逆にイライラだけが募っていった。

広島DFのフォックスは言う。

「彼らの焦りと重圧は時間を追うごとに大きくなっていったんだ。それを見て僕たちは、どんどん冷静になれた」

前半を終えて0-0。しかし試合の主導権は、完全に広島が握っていた。

後半、ア・デモス監督はFWの大柴健二、盛田剛平を投入。がむしゃらに勝点3を狙いにいったが、チームの混乱は深まる一方で、それはまるで“白い巨塔”に小さな赤い矢を放つがごとくだった。

この流れを変えたのが、81分に登場した福田だ。クールにスペースを有効活用し、後方からの支援を引き出すなど攻撃に厚みを加えていく。ようやく得点の匂いが漂い始めたのだ。

石井俊也をリベロとし、まさにギャンブルの超攻撃的布陣。ノーガードの撃ち合いに広島を誘い込み、一進一退の攻防へと激変させた。精神的な駆け引きを制していたのは浦和で、主導権をもぎ取っていたのも駒場の主だった。

ロスタイム、福田のクロスに盛田が合わせるも枠を捉えきれず。福田投入が遅すぎる采配だったことを証明しつつ、90分の戦いは幕を下ろした……。

降格――。結果は知っていた。だが眼前の勝利を、選手たちは一心不乱に求めた。106分、福田が執念の一撃で終止符を打つ。今季最後の“ゲットゴール”は、あまりにも悲しく、かつ力強く、サポーターの胸に突き刺さったことだろう。

2002年・サンフレッチェ広島――繊細な猛反撃の終焉

■Case.2 サンフレッチェ広島

2002年11月30日・札幌ドーム
セカンドステージ15節
札幌 5(延長)4 広島

90分間を戦って4-4。

延長戦に突入した段階で、柏と神戸が勝利しており、広島のJ2降格は決まっていた。だがプレー中の選手たちは、その事実を知らない。

99分、森秀昭のクロスに合わせた曽田雄志に決勝のVゴールを叩き込まれた時、奇跡の残留を信じていた広島イレブンからは立ち上がる力が失われていた。

鹿島、柏と撃破して波に乗っていた広島だが、この日はホームの熱狂的なサポートを受ける札幌相手に、序盤からリズムを掴めずにいた。

ラインを終始引き気味に構える札幌は、西田吉洋と和並智広の左右のサイドハーフとボランチの今野泰幸が守備のバランスを図っていく。

広島はサイド攻撃を封じられ、逆にカウンターを許していった。札幌の逆襲を受けて立つ形になり、ボールを奪取されロングボールを次々に放り込まれていったのだ。失点の大半はシンプルなアタックからである。

連勝の勢いは、たしかに本物だった。広島には、逆転するだけの底力があった。1-1で後半に折り返すと、沢田謙太郎に代わって藤本主税を投入。一度目の勝ち越し点となるPKは、藤本のドリブルと森崎浩司の前線への果敢な攻撃参加が生んだものだ。

この試合のポイントは、53分に茂木弘人が追加点を奪い、広島が3-1になった以降にある。森崎和幸は「後半からは攻め過ぎて、守りがおろそかになった面があるかもしれない」と振り返る。

残留のためには、できるだけ点を取らなければならない。それは分かる。だが3-1の時点でゲームを落ち着かせ、相手に攻めさせてカウンターを狙う。そう いった、緩急の変化で、主導権を自分のモノにするという選択肢も考えられたはず。だがあくまでもチャージを続け、力尽きた。

これは、指揮官のビジョンによるところが大きい。このようなナイーブさは、来季参入するJ2では、より大きな致命傷になりかねない。

最後まで続いたビジョンなき混乱で、広島の猛反撃が終わった。

2005年・東京ヴェルディ――大敗、そして落日

■Case.3 東京ヴェルディ

2005年11月26日・日立柏
第33節
柏 5-1 東京V

J1残留を懸けた、直接対決のサバイバルマッチ。最終節に望みを繋ぐためには、東京Vにとって勝利は絶対条件だった。

序盤は司令塔・大野敏隆を中心に徹底したサイド攻撃を繰り返す柏に対し、東京Vは後手にまわった。

「レイソルは良い形でプレーして、初めのほうはマークを掴み切れなかった」とバドン監督は言い、たまらず東京Vはボランチの山田卓也をCBに下げ、両サイドを相馬崇人と柳沢将之にして3-4-12-1とスタイルを変えることで、“サイド封じ”に成功した。

徐々にボールを回す時間を増やし、27分に左CKから小林慶行のボレーシュートで同点に追いつくなど、前半の東京Vは素早い対応力で、五分五分の勝負を見せていた。

しかしそれでも彼らに、勝負の女神は微笑まなかった。ターニングポイントは、後半開始直後の矢野貴章のミドルシュートだろう。

ペナルティエリア手前に落ちたルーズボールに対して、東京VのDF陣は立ち往生。その瞬間、矢野の右足によって放たれたシュートは、ドライブしながらバーを直撃し、そのままゴールインとなった。

この1点で東京Vのバランスは崩れた。1点のビハインドを跳ね返すべく、彼らがその攻撃意識を高めるたび、柏のカウンターをもろに浴びた。気づけば、 セットプレーからの失点を含め、まさかの5失点である。予想外の結末となったこの大敗は、失点を重ねた今季を象徴するスコアとなった。

ワシントンの不調も、彼らにとって誤算だった。リーグ通算21得点を叩き出した最強FWのパフォーマンスは、チームのバロメーターになっていた。

ワシントンがノーゴールだったここ6試合で、チームは1分け5敗という成績。この日もチーム最多の5本のシュートを放ちながら、いずれもゴールネットを 揺さぶれなかった。終了間際のPKも相手GKにセーブされるなど、最後までチームに勢いをづけられないまま、東京Vの初のJ2降格が決まった。

主将の山田は「申し訳ないのひと言。能力のある選手は揃っているが、チームとしてかみ合わなかった」と唇を噛んだ。ワシントンは「降格は、この日の結果で決まったのではない。シーズンを通した戦いの結果。僕たちは良いシーズンにできなかった」とうなだれた。

J2降格という結果は、チームの実力として受け入れざるを得ない。輝かしい歴史を築いた伝統クラブのひとつの時代が終わった。

2009年・ジェフ千葉――落ちないクラブの伝統に終止符…

■Case.4 ジェフ千葉

2009年11月8日・等々力
第31節
川崎 3-2 千葉

昨季最終節、Jリーグの歴史に残る奇跡の残留劇を演じた千葉だったが、またしても残留争いに巻き込まれた今季、再び奇跡を起こすことはできなかった。

2009年11月8日、首位・川崎に敗れた千葉は、前身の古河電工時代から守り抜いてきた、唯一2部落ちのないクラブとしてのプライドと伝統をついに失った。

残留のためには勝利こそが必要だった川崎戦。35分に工藤浩平のゴールで先制しながら、55分、70分にレナチーニョにゴールを決められあっさり逆転を許すと、終了間際に同点に追いつく粘りを見せたが、直後に決勝点を奪われ、タイムアップの笛を聞いた。

「勝っても(残留争いを演じていた大宮の結果次第では)落ちる可能性はあった。厳しい状況だったけど、しっかり戦って勝つという気持ちだった」

試合後、目を真っ赤にしながら巻誠一郎は語ったが、待ち受けていたのは、先制しながら逆転される、今季を象徴するような幕切れだった。

今季開幕前の千葉には、明るい材料が揃っていた。

ここ数年の恒例行事となっていた主力の流出に見舞われることもなく、中後雅喜、福元洋平、アレックスら、各ポジションに即戦力を補強。また、昨季途中に 就任し、危機的状況だったチームを救ったアレックス・ミラー監督が、シーズンの初めから指揮を執れるというのも期待を抱かせるポイントだった。

ところが、ふたを開けてみれば、昨季と変わらない千葉の姿があった。「無失点試合を増やしたい」と語るミラー監督は、例によって守備的な戦いを選択し、攻撃はロングボール一辺倒。結果重視の超現実的なサッカーで臨んだにもかかわらず、今季は結果も出せなかった。

そして19節の清水戦終了後、ミラー監督は解任された。しかし、クラブのこの判断が、結果的に千葉の伝統を崩壊させる、致命的な決断となってしまった。

後任に就いた江尻篤彦監督は、かつてイビチャ・オシム監督の下でコーチを務め、北京オリンピック代表でも反町康治監督の参謀として働いた実績を持つ。し かし、監督経験は一度もない。シーズンの折り返しを過ぎ、残留争いに巻き込まれていたチームを任せるのは無謀な賭けと言えた。

(中略)

監督交代しかり、選手補強しかり、フロントの対応が後手を踏んでしまった印象は拭えない。江尻監督就任後、12戦未勝利。その数字が全てを物語っている。

(中略)

監督、選手の流出という事情はあったにせよ、Jリーグで最も魅力的なサッカーをするチームとして認識されていた千葉は、わずか数年で、まさに下り坂を転げ落ちるかのように崩壊の道を辿ってしまった。――

2012年・ガンバ大阪――シーズンを象徴する敗北

■Case.5 ガンバ大阪

2012年12月1日・ヤマハ
第34節
磐田 2-1 G大阪

刻々と時間だけが過ぎていく。

ロスタイムは4分。1-2と追い込まれたG大阪は、CBの中澤聡太を前線に上げるパワープレーも実らず、無情にも試合終了のホイッスルが鳴り響く。その瞬間、クラブ史上初となるJ2降格が決まった。

「この試合が今季を象徴していた。自分たちの力不足だった」(家長昭博)

自力で残留がないG大阪にとって、この磐田戦では絶対に勝利が求められた。

そんな大一番にかかわらず、開始わずか5分にあっさり失点。ゴールが必要なG大阪は前線からボールを追い、果敢に仕掛けたが、前半のシュートはわずか2本と調子が上がらない。

後半に入るとようやくギアが入り、53分に倉田秋の鮮やかなゴールで同点に追いつく。

ここから一方的なG大阪ペースとなり、追加点のチャンスが何度も訪れた。しかし、「決め切れなかったというひと言に尽きる」(二川孝広)。結局、終盤に左サイドから崩され、最後は小林裕紀に決勝点を奪われてしまった。

チャンスを活かせず、逆にスキを突かれて敗戦。今季何度も見た光景が、そこにあった。

(週刊サッカーダイジェスト2012年12月18日号)

――◇――◇――

20年以上のJリーグの歴史において、降格を経験していないクラブのほうが明らかに少ない。現時点で「オリジナル10」では清水の他、鹿島アントラー ズ、横浜F・マリノス、名古屋グランパス、そして途中昇格組ではアルビレックス新潟、サガン鳥栖、そして松本山雅だけであり、残留し続けることの難しさが ここからも分かる。

黎明期からトップリーグに留まり続けるクラブの減少は、残念であり、寂しいことでもある。とはいえ、あらゆるものに“栄枯盛衰”はつきまとうもので、これもJリーグが歴史を積み重ねていることの証明であると言えよう。

崖っぷちの清水は、オリジナル10から6番目の降格チームとなるのか、あるいはここから踏ん張るのか――。

ちなみに、降格後のオリジナル10が歩んだ道のりは三者三様だ。

千葉や東京Vのように一度降格してからは、昇格できずにいたり、昇降格を繰り返したりするクラブがある一方で、浦和は再昇格後に様々なタイトルを獲得し、G大阪は再昇格のシーズンに三冠を達成するなど、クラブごとに明暗はくっきりと分かれている。

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