谷晃生、食野亮太郎らの才能開花 G大阪ユース熱血監督が語る、若手“操縦術”の極意
森下仁志監督「若手育成の哲学」第1回、G大阪の逸材を“本気”にさせる声かけ
1993年の開幕から今年で30シーズン目を迎えたJリーグで、日本サッカーの“文化”を変えた成果の一つに挙げられるのが、下部組織の充実だろう。今や多くの才能あふれる若手がJクラブのユースから羽ばたき、日本代表にも多く名を連ねている。ダイヤの原石である選手を育て上げるため、各クラブの下部組織には“育成のスペシャリスト”が揃うが、その中でやや異なる道を歩んできたのがガンバ大阪ユースの森下仁志監督だ。39歳でジュビロ磐田の監督に就任して以降、4クラブでトップチーム監督としてJリーグを戦い、苦い経験も味わいながら再びユース年代を指導する立場となり、数々の有望な若手の才能を引き出している。
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順風満帆とは言えない指導者人生を歩みながら、追求してきた哲学とは――。第1回ではG大阪での指導を例に、若手選手たちが“飛躍を遂げる”瞬間について語った。
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「選手には、『サッカーはスペシャルかその他大勢。俺自身は、その他大勢やった。お前らはどっち?』って聞きます。みんな『スペシャル』って答えるんで。『だったら、やるからにはこだわる部分を作っていかな』って」
ガンバ大阪ユースを率いて2年目になる森下仁志監督(49歳)は、指導モットーを熱っぽく語っている。
2019年にG大阪U-23を率いるや否や、若手育成で辣腕を振るった。1年目で伸び悩んでいた中村敬斗(現LASKリンツ)、燻っていた食野亮太郎(現エストリル・プライア)の2人を立て続けに、オランダ、スコットランドと欧州へ送り出した。他にも、GK谷晃生(現・湘南ベルマーレ)を東京五輪代表へと飛躍させ、福田湧矢など多数の選手をトップチームに送り込んだ。
「選手の人生に関わらせてもらえているのが幸せ」
そう語る森下は、いかに若い選手たちを目覚めさせたのか。
――G大阪U-23での2年、濃密な日々だったはずです。これだけ多くの選手をトップレベルに押し上げて……。
「監督に就任した時、1週間トレーニングした後でトップチームは沖縄キャンプへ行くことになって。そこで6人が大阪に残されたんですが、それが(始まりとしては)良かったかもしれません。毎日、ほとんど一騎討ちでしたよ(笑)。彼らは逃げられない。ほとんどがプロになって2年が経過し、“やるしかない”で追い込まれていましたから」
――6人でどんな練習をしたんですか?
「ゴールを置いて、脇にミニゴールを置いて、シュートはそこしかゴールじゃなくて、3対3を。6人いればトレーニングはできましたし、サッカーはボールサイドのところでトレーニングすることが大事なので。かなり厳しい注文をして、自分と彼らの戦いですよ。判断を1か月間、叩き込んだ後、ユースを半分入れました。そこからは大学の強いところと2日に1回、試合をやりまくって。交代はいないし、かなりきついけど、そこでも随時要求して。プレーの一つひとつを逃さない感じで」
本気の選手が目に涙を浮かべると「もらい泣きしそうになる」
――選手は最初からついてきたんですか?
「最初は(食野)亮太郎も(中村)敬斗も(福田)湧矢も、みんな面食らっていたと思います。でもいかに本気度を伝えるか。『本気やぞ』って、それしかない。選手を100%ファイトさせないといけないから」
――選手が“らしさ”を出せるようになりました。
「敬斗はプロ2年目でした。デビューシーズンは埼スタ(埼玉スタジアム)で凄いゴールを決めて話題になって。でもプロの水に慣れてウイーク(ポイント)を指摘されて、自分がU-23の監督になった時は、キャンプで(失格の)烙印を押されて戻ってきたところでした。まず、『パスはしなくていい、全部行け、全部仕掛けろ』って話して。敬斗は『え、ドリブルしていいんですか?』って目をキラキラさせて。『点を取って怒る監督いないぞ』って」
――監督次第で、それだけ変化があるのがユース年代ですね。
「選手がどう思っているか、すごく観察しますね。どういう感情でグラウンドに立っているのか、どういう感情で普段過ごしているのか。常に声をかけるのではなく、泳がす時もあるし、触るタイミングは大事です。とにかく観察して。そうしていると家に帰ったらくたくたで、ソファでグダってなっています(笑)。
あと、これは監督の習性でしょうけど、レストランやコンビニでも、この店員さんは今どんな心境でどんな感情か、とか気付くと観察しています。これは病気ですね(笑)」
――その熱が選手に伝わるんですね。
「選手と話していると、彼らは本気なので純粋な目に涙を浮かべることがあって。それを見ていると、もらい泣きしそうになるんです。『感情をコントロールしろ』って選手には言っているんですけどね(笑)」
――谷選手も「森下監督に『感情をコントロールできるようになったら、絶対にいいパフォーマンスができる』って言われてきました」と感謝の言葉を口にしています。
「晃生(谷)を指導できたのは幸せでした。最初はユースが半分のチームだったので、本人も“なんでこんなところで”って、上手くいかないと脛あてを投げ捨てたり、ポストを蹴ったり。でも“来た、来た!”と楽しい感じでした(笑)。若い選手の負けん気ってすごく大事で。彼はU-20ワールドカップが目標でしたが、肩の脱臼で棒に振ってしまって。復帰後は『年末の東京五輪立ち上げに招集されるように』と目標を立てたんです。それで選ばれてから、出場した五輪でも正GKとして活躍し、今では代表ですからね。選手に出会わせてもらっているなと思います」
唐山翔自は「今から伸びるはず」
――手を離れた後も、森下監督の練習に参加を希望する選手が多いとか。
「今年のプレシーズンも、水戸にレンタルで行っている唐山翔自がクラブの許可を得て、『1週間いいですか? シーズン前に仕上げていきたいんで』って来て。あいつは今から伸びるはずです」
――原点になっているんですね。
「プロって呪縛にもなります。(中村)敬斗がウイングバックで使われていた時、自分のところに来て、『守備がなかなかできない』って。敬斗は敬斗なのに、ただのウイングバックになってしまっていた。だから、『お前は中村敬斗でしょ? そこに立ったら違う人になるの? お前のストロング(ポイント)は何?』って聞いて。『ドリブルです』って答えるから、『だったら、したらええやん』って。そしたら、彼は凄かった」
――教え子のことを話す森下さんの目は慈愛に満ちています。
「トップの試合を見て、先日は黒川(圭介)が点を取って嬉しくて、『あんなの教えてないぞ』とか(笑)。選手たちの活躍が楽しみで。今は敬斗も亮太郎も苦労しているけど、欧州に留まって戦って、ケツをまくって帰ってこない。連絡はちょくちょく取っています。今はLINEという便利なツールがあるので、1時間くらい話します。昔だったら、えらいことになっていますけどね(笑)」
(第2回へ続く)
森下仁志 1972年生まれ、和歌山県出身。現役時代は帝京高、順天堂大を経て95年にガンバ大阪に加入。コンサドーレ札幌、ジュビロ磐田と渡り歩き、J1通算202試合9得点、J2通算37試合1得点の成績を残した。2005年の現役引退後は指導者の道へ進み、12年に磐田監督に就任。京都サンガF.C.、サガン鳥栖、ザスパクサツ群馬の監督を経て、19年に古巣G大阪U-23監督となり、昨年からユースを率いている。中村敬斗(現LASKリンツ)や食野亮太郎(現エストリル・プライア)らの才能を引き出すなど、若手の指導に定評がある。