「燃え尽きる一年になるかもしれない」元日本代表、橋本英郎はなぜ“おこしやす京都”を新天地に選んだのか
初の地域リーグ挑戦。「楽しみでしょうがないです」
1月下旬、橋本英郎は宮崎にいた。
同じく新天地を探し求める選手たちと寝食を共にしながら、およそ3週間を過ごす日々。トレーニングやゲームの合間には、みんなで近隣の農園に足を運んだ。クラウドファンディングの返礼品として、取れたての野菜などを提供してもらうためだ。
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昨年末にJ3のFC今治を退団してから、元日本代表MFの元にはなかなか獲得オファーが届かなかった。そこで飛び込んだのが、かつて柏レイソルやジェフ千葉でプレーした増嶋竜也氏が主宰する「#Reback(リバック)」プロジェクトだ。次なる活躍の場を見つけられない選手たちに救いの手を差し伸べ、トライアウトを兼ねたミニキャンプを実施して、プロクラブの強化担当にアピールしてもらう。その第2弾が、1月17日から2月7日まで宮崎県の新富町で行なわれていた。
橋本は「Rebackには感謝しかないです」と話しながら、小さくない不安を抱えていたと明かす。
「去年の9月に鎖骨を骨折したんです。以前に肩を脱臼した影響もあって、復帰までにだいぶ時間がかかってしまって、そのままシーズンが終了。なので僕は5か月近く、まったく対人をやってなかったんです。今回、岡山や横浜FC、町田などのJクラブと練習試合をさせてもらったんですが、正直、コンタクトへの怖さがありましたね。でも、思っていたよりも動けたんで、そこは嬉しかったというか、ホッとしました」
そんななか、2月7日にようやく新天地が発表される。関西1部リーグの王者で悲願のJFL昇格を目ざす「おこしやす京都AC」が、橋本の獲得を発表。なんと選手兼コーチという肩書きまで付いた。最終的にはほかにも正式オファーがあったというが、決断の決め手はどこにあったのか。
「もちろん、欲しがってくれるチームがなければ引退するしかなかったわけです。ただ、自分のなかではクラブとして明確な目標があるか、昇格を狙えるチームなのかどうかというのは、すごく大きな要素でした。クラブとして、どれだけ本気なのかと」
2015年に当時J2のセレッソ大阪に移籍して以降、橋本は常に“昇格争い”の渦中に身を置いてきた。AC長野パルセイロ、東京ヴェルディ、そしてFC今治と、カテゴリーは違えど、そのヒリヒリするような感覚を味わい、唯一無二の目標を達成するためにチーム一丸となっていく過程に、底知れぬ魅力を感じてきたのだ。
「目的意識というか、誰もが同じベクトルを一緒の方向に向けて闘うから、チームのなかでもポジティブな話のほうが断然多くなってくるんですよ。それが本当に面白い。なにかアクションを起こすにしても、チームのためだったり、勝つためになにをしようかってみんなで考えだすんです。それがまた、カテゴリーごとでぜんぜん違う。おこしやす京都には、その魅力がある。しかも地域リーグは初体験。どうもがきながら、上を目ざすのか。楽しみでしょうがないですよ」
舞い込んだオファーは驚きの「選手兼コーチ」
新チームからのオファーは、本人も驚く「選手兼コーチ」だった。
橋本にとってはかならずしもウェルカムな提示ではなかったが、クラブの意図と熱意を汲み取り、快諾した。今季から指揮官を務めるのは、コーチから昇格したエスマン・ムスタファ氏。元ガーナ代表MFで、現在42歳の橋本より4つも年下の新米監督だ。
「監督からは、選手としていままで経験したものをチームに還元してほしい、そしてコーチとしては練習メニューのところなどでも力になってほしいと言ってもらいました。でも、いまはまだイメージしかできないですね。若い選手が圧倒的に多いんで、どんどん相談してもらおうとは思っています。でも、彼らが選手として僕を見るのか、それともコーチとして見るのか、そこの帳尻合わせは難しいんだろうなとは覚悟しています」
地域リーグからのJFL昇格は、容易いミッションではない。
実際におこしやす京都はこの10年で4度、関西1部リーグを制しているが、全国地域サッカーチャンピオンズリーグの厚い壁を一度も打破できなかった。まずは各地域王者など12チームが3グループに分かれ、4チームに選抜される。そこから総当たりの「決勝リーグ」を戦い、上位2チームがJFL下位2クラブとの入れ替え戦に臨む。こちらは一発勝負で、引き分けの場合はJFLクラブが残留するという過酷なレギュレーションだ。
橋本は「どれだけハードルを課すんかってくらい、むちゃくちゃ難しい。地決(全国地域サッカーチャンピオンズリーグ)は3日連続で試合をしてから、決勝リーグが中1日でまた3試合。まずなにより大前提で、関西1部で優勝しないといけませんからね」と苦笑するが、「だからこそ挑戦しがいがあるんです」と力を込める。
かつてガンバ大阪ユースで共闘した同級生の稲本潤一と、日本代表でプレーした今野泰幸が時を同じくして、関東1部リーグの南葛SCに移籍した。全国地域サッカーチャンピオンズリーグで直接対決する可能性もあり、実現すればファンにとっては堪らない展開だろう。橋本は「楽しみですよね」と言いつつも、「関東のほうがレベルは高いと思いますけど、その代表チームが地決の最後のところで勝てるかどうかは、また別の世界みたいですから」と続けた。
契約期間は1年。当然、引退の二文字を身近に感じながらのシーズンとなる。
「選手兼コーチですからね。めちゃくちゃエネルギーいりそうじゃないですか。監督が外国籍なので、どうコミュニケーションを取っていくのか。自分自身、コーチとしての能力を高めないといけない。もちろん、選手としてもコンディションとパフォーマンスを常に整えておく必要がある。いまはピッチ外でもさまざまな取り組みをしていますし、全部ひっくるめて、燃え尽きる一年になるかもしれない。最終的に昇格、という結果を出せたら、引退の良いタイミングになるかもしれないですよね。でももし僕自身のなかで乗り越えたと感じられたら、まだやりたいって思えるかもしれない。そこに関しては、いまはまだ分からないです」
ホントに執筆している不定期コラム。「伸び悩みを痛感しています」
20代の頃から試合後のミックスゾーンでは、ずば抜けた説得力で報道陣を唸らせてきた。それはJリーグのみならず、日本代表戦でも有名となり、“橋本詣で”をする記者が続出したものだ。自身が出場していたにもかかわらず、まるでスタンドから見渡していたかのように俯瞰した眼でゲームを捉え、戦評は明確で分かりやすい。どんな質問をぶつけても、一発回答してくれるのだから、重宝されるに決まっている。
そんな橋本が2017年、東京Vに移籍してきた。私は彼ならば言葉だけでなく文字でも感性を伝えられると信じ、サッカーダイジェストWebで不定期コラムをやってみないかと誘った。チャレンジャー精神が旺盛な男はオフの日を利用して執筆するようになり、あれから5年、投稿した記事は52回を数える。自分で原稿まで書いてしまう現役プロフットボーラーは、世界を見渡してもそう多くはないだろう。
橋本は「最高の機会を与えてもらって、本当に感謝しています。あのコラムは言うなれば自分のメディア。僕のタイミングで、自分の思うところを発信させてもらえるんですから、すごくありがたい。普段、伝えられない層に届けられるのがなにより嬉しいんです」と話す。そして、いずれ指導者の道を歩むうえでも、想いを文字化するスキルは欠かせないものだと感じている。
「しゃべるのとはぜんぜん違いますからね。言葉だけじゃうまくいかない場合ってありますし、映像から分析したものを伝えるにしても、文字起こしって大切になってくる。ただ、いまは(書き手として)伸び悩みを痛感しています。もっと表現の仕方とか違う手法があるんじゃないかなと。さすがにまだ現役選手なんで、そこにまで時間は割けてないですね。いずれにせよ、引退してからも続けさせてください!」
探求心に溢れるタフガイは、京都の地でどのような化学反応を起こし、いかなる「選手兼コーチ像」を生み出すのか。そしてすべてを昇華させて燃え尽きたとしたなら、その眼前にはどんな景色が広がっているのか。
また1年後にでも、じっくり話を聞きたいと思う。



