「うわー、俺、宇佐美としゃべってる」謙虚すぎるプラチナ世代・宮吉拓実 岡田武史も驚いた16歳デビューから14年目の本音
“京都の至宝“が泣いていた。
2021年11月28日、ジェフ千葉と引き分けて12年ぶりのJ1昇格を果たした京都サンガF.C.の宮吉拓実は、試合直後のインタビューで思わず目を潤ませた。意外にも、プロになって初めて流した嬉し涙だった。
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「それまでサッカーに関して泣いたのは2回だけなんです。1度目は、2012年の元日に天皇杯決勝でFC東京に負けたとき。あの試合と、2012年と2013年のプレーオフで負けてJ1に上がれなかったことは、サッカー人生の中で一番悔しかった思い出です。
もう1つが、2017年に2度目の右膝半月板の手術を受けたとき。以前にも同じ箇所を痛めていたので、精神的にすごくネガティブになって。『もし治らなかったら、この先どうなるんだろう』って、オペ室に入る前に泣いてしまったんですよ。今思えば、お恥ずかしい話です(苦笑)」
「すごい高校生がいるんだよ」
宮吉のプレーを初めて見たのは、14年も前のことだ。京都府城陽市のクラブハウスで当時の加藤久監督(現強化アカデミー本部長)と雑談していたとき、嬉しそうに教えてくれたことを今でもよく覚えている。
「うちにすごい高校生がいるんだよ。ミヤヨシって子でね。もうトップチームで練習している。すぐにデビューするだろうから、覚えておいた方がいいよ」
その言葉は本当だった。2008年9月21日のガンバ大阪戦、宮吉は後半27分にJデビューを果たすと、ファーストプレーで西京極のスタンドをどよめかせた。相手に囲まれながらも味方の縦パスを呼び込み、柔らかいタッチで反転。鋭いドリブルから林丈統へのスルーパスを通し、決定機を演出した。
16歳1カ月14日でのJリーグ戦出場は当時、森本貴幸に次ぐ歴代2位の年少記録となった。この試合を視察していた日本代表・岡田武史監督(当時)も、「宮吉という選手を知らなかった。すぐにA代表入りとまではいかないけど、こういう選手が出てきたのは日本サッカーにとって良いこと」と驚いていた。
1992年8月7日生まれ。「プラチナ」と呼ばれた世代である。あの頃、宮吉には嬉し涙まみれの未来が待っていると思っていた。ところが、29歳となった本人の認識は違う。
「16歳でデビューできたのは、ただただ運が良かったんだと思います。宇佐美貴史、柴崎岳、杉本健勇、宮市亮……。素晴らしい選手が揃っていたから、『プラチナ世代』と呼ばれる理由はわかります。でも、僕にとっては彼らがライバルとか、戦友という意識はない。“すごい人“です。特に宇佐美とは、小学生の頃から戦っていますけど、今でもスタジアムなんかで話すと“うわー、俺、宇佐美としゃべってる“って思いますもんね(笑)」
同世代が次々と日本代表デビューを果たし、欧州に活躍の場を移す中、宮吉は怪我にも悩まされ、スポットライトを浴びる機会は限られた。2014年には期限付きでカターレ富山へ、2016年にサンフレッチェ広島、2018年に北海道コンサドーレ札幌への移籍を経験するも、本来の得点力は発揮できなかった。
「もっとエゴを出していたら」
「僕は人に対して心を開くのに、時間がかかるんです。札幌に移籍したばかりの頃は、妻から『練習から帰って来るのが早いね』って、イジられたこともありました(苦笑)。ただ、今振り返れば、移籍を経験したことは僕にとってプラスだったと思います。
他クラブを見ることでサンガの素晴らしい部分も、サンガに足りない部分も再認識することができた。森保(一)さんやミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)さんの指導を受けたことで、プレーの幅も広がったと思います。斜めの縦パスに対して僕がスルーしてDFの背後に走り、(ピーター・)ウタカからのスルーパスを受けるようなコンビネーションは、ミシャさんのサッカーから学んだものですから」
この逸話からもわかるとおり、宮吉はとてもシャイな選手だ。ギラギラ感を隠さない「プラチナ世代」の選手たちとは異なり、自身のプレーやキャリアについても謙虚な姿勢を崩さず、大きすぎる目標は語らない。
「小学生とか中学生の頃は、もうちょっと“俺が俺が“感はあったと思います。早い段階から上の世代とサッカーをするようになって、ちょっと委縮するようになった部分はあったかもしれません。
自分の性格が違っていて、もっとエゴを出してプレーしていたら、今とは異なるサッカー人生になったのかなと思うことはありますよ。このインタビューでも、『同世代に負けるのは悔しい』と言わないのは、自分の弱さや自信のなさなのかもしれない。でも、謙虚であり続けられたからこそ、今もこうしてサンガでサッカーができているのかなって気もするんです」
弱気と謙虚、消極的と献身的は紙一重だ。
2021年シーズン、曺貴裁監督の下でプレーした宮吉は、常に謙虚に、献身的な姿勢を保ち続けながら、本来持っている技術と嗅覚をゴールという形に結び付けた。ピンチと見るや自陣深くまで懸命に走り、ボールを奪えば相手ゴール前に顔を出す。
その姿が、とても楽しそうに見えた。
「それまでも、常に100%で練習に臨んでいたつもりではあったんです。でも、2021年は曺さんやコーチングスタッフに、さらに上を引き出してもらったというか。練習で競争に勝った選手だけが、週末のゲームに出られる。だから自然と練習の強度も高まる。守備に関しても、今までも常に『チームのために』と頑張ってきたつもりです。
昨年の場合は、守備で頑張った分が、その後の攻撃につながる感覚もありましたし、チームとして積極的にプレスをかけて、そこからショートカウンターという狙いもありました。やりたいこととやっていることがすごくリンクしている手応えがあったので、楽しみながらできたのかなと思いますね」
J1昇格を視界に捉えた2021年11月14日のJ2第39節ブラウブリッツ秋田戦の直前、曺貴裁監督に呼び出され、こう伝えられた。
「ミヤは今までチームのために戦ってきたと思う。それもいいんだけど、ここから先は、お前の力でこのクラブをJ1に上げるって気持ちで戦え」
この試合の前半44分、宮吉は武田将平の折り返しを冷静にゴールへ蹴り込み、チームを勝利に導いた。これでゴール数を2012年(11得点)以来となる2桁に乗せた。プロ人生で初めて嬉し涙を流したのは、この2週間後のことである。
2022年元日、宮吉はサンガとの契約更新を発表した。
「京都サンガF.C.に関わるすべての皆さま、新年あけましておめでとうございます。昨シーズンは皆さまとともに戦い、J1昇格をつかみ取ることができました。今シーズンは、昨シーズンより更に熱狂的なサンガスタジアム by KYOCERAの雰囲気を作ってください。来シーズンも紫のユニフォームを纏い、そのピッチで一緒に戦えることを楽しみにしています。
コロナ禍ということもあり、なかなか皆さんと直接触れ合うことができず、スタジアムでも不器用に手を振り返すことしかできていませんが、この場をお借りして伝えさせてください。いつも応援していただき、本当に本当に感謝しております。皆さんのことが大好きです。ありがとう」
口下手な彼らしい、不器用ながらも心のこもったメッセージだ。インタビューの最後に、思いきって聞いてみた。
2022年はJ1で得点王、狙っちゃいますか?
「99%ないです(笑)」
やっぱり、ビッグマウスが飛び出すことはない。
でも、2008年“西京極の衝撃“を知る者は、残り1%を期待してしまうのである。