「遠藤保仁がいなければ、このサッカーはできなかった」。ジュビロ磐田がJ1昇格を果たした3つの理由

J2ジュビロ磐田は14日の第39節、アウェーの地で水戸ホーリーホックを3-1で下し、3試合を残して早々とJ1昇格を決めた。ドローでも昇格は決まったが、試合開始から積極的に攻め続け、前半12分に先制すると同15分に2点目、さらに後半にもダメ押しの1点を追加。今季の磐田を象徴するリーグ屈指の攻撃力で、昇格に花を添えた。

J1を3度制した名門が、2014年に続く2度目のJ2降格は一昨年のこと。1年での昇格を誓って臨んだが、序盤から低迷が続くと、さらに厳しさを増した10月にスペイン人のフェルナンド・フベロ監督を解任した。代わって就任したのは、クラブOBで2002年にJ1制覇を果たした鈴木政一監督だ。同時期には日本サッカー界のレジェンドで元日本代表MF遠藤保仁も加入し、チームは一気に上昇に転じたが、序盤からの低迷が響き、首位争いに絡めないままシーズンを終えた。

そして迎えた2年目の今季、まさかの開幕2連敗で出遅れたが、その後は順調に勝点を伸ばし、第21節に首位を奪取。その後何度かあった危機に首位を明け渡す場面もあったが、16戦連続負けなしと好調の流れを切らずに昇格をつかみ取った。

【黄金期を支えたレジェンドスタッフの力】

J1昇格が厳しくなった昨秋、クラブの小野勝社長が「J1にもう一度復帰するために最善の策」と送り出した鈴木新監督は、まず守備の改善から着手した。同時に就任した服部年宏コーチとは師弟関係にある。1990年代に築き上げた磐田黄金期に2001年から指揮を執った鈴木監督の下、服部コーチはDFとして戦いタイトルを手にした、いわばレジェンドコンビだ。

「ボールサイドで数的優位をつくっても、それが同数だったとしても突破される。3対1と有利な状況でもボールを動かされるが、本来はそこで奪わないといけない。その部分も同時に改善していく」(鈴木監督)

就任時に指摘した明確なウイークポイントは徐々に改善されたが、結局昨年はたどり着かなかったJ1復帰。そして今季新たに加わったのが、クラブ黄金期に攻撃陣の中心だったゴンこと中山雅史コーチだ。昨年までJ3沼津で現役を続けていたが、指導者として12年ぶりに古巣に復帰。招聘した理由は、昨年J1昇格を逃した原因の一つである得点力不足を改善するため。シーズン終盤にチーム最多得点のFWルキアンがケガの治療のため戦列を離れるなど不運もあったが、何よりチーム全体を底上げすることが急務だった。

その結果がゴール量産だった。サッカーキャリアの中で、シーズン最多得点は18だったが、その数字をあっさり超えた。

そして昇格を目の前にした10月下旬には、リスペクトする鈴木監督が体調不良でチームを離脱。その出来事が昇格への思いをさらに加速させることになった。

「監督は選手にストレスをかけない人。厳しく管理する監督もいると思うが、何事にも自由にやらせてくれる。選手のことを思ってくれていることも伝わってくるし、外国人である自分にも分け隔てなく接してくれる。そんな監督のためになら、何でもできるという思いがある」(ルキアン)

チームのために献身的に、そしてたどり着いた昇格だった。

【不可欠だったベテラン遠藤の存在】

昨年10月にG大阪から期限つき移籍で加入した遠藤。半ば昇格を諦めかけていたチームを蘇らせ、奇跡の逆転昇格もあるのではと可能性を持たせた。かつて日本代表をもコントロールしていたレジェンドの残留は、J1昇格を目指す磐田には最大の好材料だったはずだ。

その遠藤は自身初めてとなる故郷・鹿児島でのシーズン前キャンプに参加。その初日となった1月28日に41回目の誕生日を迎えると、自身に言い聞かせるように今季の明確な目標をメディアに明かした。

「今年最大の目標はJ1昇格達成。長いシーズンなのでいろいろなアクシデントは起こると思うけど、目標を達成して笑顔でシーズンを終えたい」

いろいろなアクシデントという言葉に大きな意味はなかったはずだが、早速船出から予想外の展開に見舞われた。まさかの開幕2連敗発進だ。22チーム中20位という数字に周囲は驚きを見せたが、そこは百戦錬磨のベテランだけに焦りなど見せない。その空気感は若い選手にも伝わった。

そこから、チームが完全回復しないうちに2度目のアクシデントが起こった。先発出場を続けていた第5節に足をねん挫し、次節ファジアーノ岡山戦はベンチ外となったのだ。頼みの司令塔の不在が大きなマイナスになると思われたが、鈴木監督の「ここで無理をするよりも、しっかり治したほうがいい」という冷静な決断だった。その窮地を救ったのもまたベテランである。代役としてプレーした元日本代表MF今野泰幸が、今季初の完封勝利に導いたのだ。

「バランスを見てポジショニングを取ったり、今野らしさを見せた。センターバックが得意という認識だったが、ボランチでもすばらしい」と指揮官は絶賛した。

遠藤はそこから7戦連続で欠場したが、他の選手たちの踏ん張りで5勝1分1敗と周囲の予想を超える成績で乗り切り、チームは順調に順位を上げた。そして先発で復活した第14節群馬戦では、自身の24年連続得点となる決勝弾を決め、今季2度目の完封勝利で完全復活を印象づけた。

「ここまでもこれからも支えてくれる皆さんのために、どんどん伸ばしていければと思う」

衰え知らずのベテランが、さらなる記録更新に意欲を覗かせた。

第11節以降の29戦でわずかに1敗。この14節にはすでに負けない磐田として走り出していたわけだが、この後もピンチは訪れる。DF伊藤洋輝の海外移籍や主力組の相次ぐケガなどで、守備のバランスが崩れたことが要因か、失点が増え第22節から3戦連続勝ちなしと失速したのだ。しかし遠藤は第25節から2戦連続ゴールでチームを再び上昇へ導く。そして16戦連続負けなしとクラブ記録を更新したままJ1昇格を達成した。

昨年よりもはるかにスムーズなサッカーを展開し、鈴木監督が理想としてきた「ボールをつないで相手を動かし、そこからチャンスメイクして仕掛けて勝つ」というサッカーは成熟期を迎えたが、そこに不可欠な存在がいうまでもなく遠藤だったのだ。

「おそらく遠藤がいなければ、このサッカーはできなかった。遠藤がチームに加わった頃、磐田の選手たちは相手のプレスに怖がって簡単に蹴りだすだけだった。それが今では最終ラインからしっかりとボールをつなぐことができるようになった。ビルドアップのレベルも間違いなく上がっている」

そして遠藤は昇格を決めた試合のあと、目標達成できた理由とチームの後輩選手の成長ぶりをこう表現している。

「慌てずに90分間プレーできるようになった。とくに負けているときに多かった雑なプレーも少なくなった。どう試合を進めたらいいのかも、いまは全員が共有できている」

昨年10月の加入から1年1カ月。チームを常勝軍団へと成長させた遠藤の功績は大きい。

名門磐田は昇格という最大の目標を達成したが、もう一つ大きなミッションがある。J2優勝である。3季ぶりに復帰するJ1の舞台で対等に、いやそれ以上の戦いを演じるためにも、タイトルを引っ提げて挑むことが最低条件だ。

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