41歳・遠藤保仁の真骨頂(2)そのプレーを表す「遊び」の意味
遠藤保仁、41歳。彼の“名人芸”を今のうちに見ておいた方がいい。彼がピッチのどこかでのらりくらりしていたら、それは絶対的なチャンスメイク(対戦相手からすれば大ピンチ)の前兆だ。Jリーグのデータによると、1試合平均敵陣パス数の43.6はリーグ1位。彼の作り出すタメによって、攻撃は一気呵成に加速する。今シーズンはJ2で第15節までの7試合に先発出場している。イニエスタ? J2のジュビロ磐田には遠藤ヤットがいる――。
■「タメ」を最大限に生かす攻撃とは
当然のことだが、周囲の味方選手の技術的、戦術的レベルが高く、互いの意思疎通が良いほど「タメを作る」動きは有効になる。
家長がプレーする現在の川崎などがそうだ。
たとえば、オリジナルポジションである右サイドで家長がボールをキープして「タメ」を作ったとしよう。すぐにインサイドハーフの田中碧が寄って来て家長からのパスを受けられる位置を取る。そこに他のMFも当然のようにそこに関わってくる。さらに、家長が作った「タメ」を利用してサイドバックの山根視来もスルスルと上がって相手のゴールに近い位置でパスを受けられるポジションを取る。こうして、パスコース(=選択肢)が次々と増えていく。そして、家長がスイッチを入れれば、ワンタッチのパスがポンポンとつながって、一気にゴールチャンスが生まれるというわけだ。
これが、往年のバルセロナだったら、シャビ・エルナンデスとアンドレス・イニエスタという気心の知れたコンビが存在し、その周囲にリオネル・メッシをはじめとしたワールドクラスのアタッカーたちが陣取っていたのだから、シャビやイニエスタが作る「タメ」が最大限に利用され、世界最高峰の攻撃が実現したのだ。
遠藤保仁がかつて所属していたガンバ大阪には明神智和とか橋本英郎といったすぐれたバイプレーヤーがいて、遠藤と息の合ったパス交換ができていた。パスを交換しながら「タメ」を作って味方を動かす遠藤にとっては、まさに最高の環境だったといっていい。
残念ながら、ジュビロ磐田における遠藤の現在のチームメイトたちは、川崎やバルセロナの選手たちほど遠藤が作る「タメ」を利用できていない。東京V戦でボランチとして遠藤とコンビを組んでいたのは山本康裕であり、遠藤とのパス交換でうまく「間」を作っていたが、時には意思疎通が不十分だったためにミスが生じて相手にボールを奪われてしまうといった場面もあった。
■遠藤のプレーが表わす「遊び」の概念
さて、これまで遠藤のプレーについて「タメ」とか「間」といった言葉を使っていたが、これは、どちらも時間を表す概念ということができる。遠藤や家長やイニエスタがボールを持ってプレーを瞬間的に止める。そこで生まれたほんの少しの時間を使って、味方がより良いポジションを取って、より有利な状況を作って攻撃を再開する。そんな考え方だ。
そうしたプレーを別の言葉で表現すれば「遊び」ということもできるかもしれない。
遠藤が味方と簡単なパス交換をしながら戦況を変えるのが「遊び」なのだ。「タメ」や「間」と違うのは、「遊び」という言葉には時間的な概念だけでなく、さらに広い意味も含まれていることだ。
「遊び」という言葉を『広辞苑』で引いてみると、いくつもの意味が表示されている。遠藤のプレーを表すとすれば、そのうち(7)の「気持のゆとり、余裕」が当てはまりそうだ。例文として「名人の芸には―がある」とある。つまり、「ヤットのパスには遊びがある」というように使えるわけである。
もう一つちなみに言えば、「フットボールをする」の「する」は英語なら「プレイ(play)」である。『広辞苑』による「遊び」の語義の(1)は「あそぶこと。なぐさみ。遊戯」であり、(2)は「猟や音楽のなぐさみ」とあるから、そもそもフットボール自体が遊びであることは言うまでもない。
『広辞苑』による語義の(8)には、「機械の部分と部分とが密着せず、その間にある程度動きうる余裕のあること」とある。
つまり、素材が膨張した時に歪みが生じたり、不規則な振動が機械全体に伝わらないようにするために、接合部に意図的に作られた隙間のことを指す言葉だ。
こうした意味での「遊び」の用例を、サッカーのピッチ上に当てはめれば、つまり予めデザインされた戦術的な動きにズレが生じた際に、一瞬テンポを変えてプレーを止めることによって選手の位置取りなどに調整を加えたり、別の攻撃のパターンに切り替えたりすることを意味するのではなかろうか。