電撃解任の宮本恒靖が、ガンバ大阪に残した3つの遺産。未来からの逆算で見た、3年間の評価
14日、ガンバ大阪は前日付で宮本恒靖監督との契約を解除したと発表した。昨シーズンは2位でフィニッシュし、4年ぶりにAFCチャンピオンズリーグ出場権を獲得。さらなる飛躍が期待されていたが、今シーズンは10試合でわずかに勝点7、総得点3でJ2降格圏に沈んでいる。だがこの結果をもって、宮本体制の全てを否定するのは間違いだ。約3年間にわたる冒険の軌跡は、必ずや未来の栄光へとつながるに違いない――。
昨季は2位と結果を残すも、今季は10試合で勝点わずかに7
感謝の思いに悔恨のそれを含めながら、ジュニアユース、ユースとガンバ大阪のアカデミーで育ち、昨シーズン、トップチームへ昇格した19歳のFW塚元大は言葉を紡いだ。
「プレーするのは選手で、勝てなければ責任が回ってくるのが監督という中で、ツネさんが解任されてしまった。自分としては前の試合で点を決めることができていたら、もしかするとツネさんは今も監督をしているかもしれない。そういう思いがありました」
ツネさんとは成績不振を理由に13日付で電撃的に契約を解除された宮本恒靖前監督であり、前の試合とは88分から投入され、今シーズン初出場を果たした12日のサンフレッチェ広島戦。結果的に宮本前監督が采配を振るった最後の試合となった。
塚元はアカデミー時代に、指導者の道を歩み始めて間もない宮本氏の指導を受けている。だからこそ、たとえアディショナルタイムを含めてわずかな時間であっても、サンフレッチェ戦で結果を残せなかった自分にふがいなさのベクトルを向けた。
松波正信暫定監督の下で臨むも、浦和レッズに0-3で完敗した16日の第14節。3点のビハインドを背負った後半開始から、無観客のパナソニックスタジアム吹田のピッチに立った思いを問われた塚元はさらにこう語っている。
「自分にできることといえば、試合に出て好きなサッカーができて生活もできている状況に感謝する、ということをもう一回頭に入れてから、今日は試合に臨みました」
クラスター発生でチームづくりは気泡に。結果を残せず解任
日本代表として2度のFIFAワールドカップに出場し、ガンバが悲願のJ1リーグ初優勝を果たした2005シーズンには最終ラインに君臨。レジェンドであり、クラブの顔であり続けた宮本前監督の解任は日本サッカー界に大きな衝撃を与えた。
10試合を終えて1勝4分5敗。総得点がわずか「3」と極度のゴール欠乏症に陥り、J2への自動降格圏となる18位に低迷している現状に、ガンバの小野忠史代表取締役社長が「チーム状況が改善することは難しい」とサンフレッチェ戦後に決断した。
リーグ戦で2位、天皇杯で準優勝だった昨シーズンよりも上、つまりタイトル獲得を目標に掲げて、クラブ創立30周年を迎えるガンバはFWレアンドロ・ペレイラ、FWチアゴ・アウベス、MFチュ・セジョンらを獲得して今シーズンの開幕を迎えた。 3月に入って新型コロナウイルスのクラスターが発生。
予定されていた6試合が全て延期されただけでなく、トップチームの活動そのものも9日から2週間にわたって活動休止となり、開幕へ向けてつくり上げてきたコンディションもゼロベースに戻った。
4月に入っても選手個々の状態がバラバラで、より攻撃的に転じるために構築した新たな戦い方もなじまない。情状酌量の余地はあっても、常に結果を問われるプロである以上、惨状といってもいいチーム状況にフロントも看過できなかったのだろう。
J2降格の可能性もあった3年前、火中の栗を拾う形で監督就任
しかし、だからといって宮本前監督の下で描かれてきた軌跡の全てが否定されるわけではない。41歳の若さでガンバの監督に就任した2018年7月も、本人にとっては青天のへきれきに映ったオファーを、火中の栗を拾う形で受諾した経緯があった。
当時のガンバは新たに招聘(しょうへい)したレヴィー・クルピ監督(現セレッソ大阪)の下で開幕から不振が続き、一時は最下位に転落。前半戦の17試合を終えた時点で4勝3分10敗の勝点わずか15に、順位もJ2降格の可能性がある16位に低迷していた。
危機感を募らせたクラブはクルピ監督を解任。後任としてオファーを受けたのは、J3リーグに参戦していたU-23チームの監督を務めて2年目を迎えていた宮本氏だった。ガンバを立て直せるのは、ガンバをよく知っている人間しかいない――が理由だった。
もっとも、宮本氏としても自分なりに描いていた指導者としての道があった。 ヴィッセル神戸でプレーしていた2011シーズン限りで引退した宮本氏は、翌2012年夏に国際サッカー連盟(FIFA)が運営する大学院、FIFAマスターに第13期生として入学。スポーツに関する組織論、歴史や哲学、マーケティングなどを学んだ。
元プロサッカー選手で世界で2人目、元Jリーガーでは初の卒業生になると、2014年にはJリーグの特任理事に就任。さらに同年6月に開幕したワールドカップ・ブラジル大会では、FIFAが指名した10人のテクニカルスタディーグループの一人に名前を連ねた。
Jリーグだけでなく日本サッカー協会(JFA)からもオファーを受けていた中で、2015年に宮本氏が選んだ次なる道は第1期生としてユースに加入して以降、15年間所属してきた愛着深い古巣ガンバへの復帰であり、指導者への挑戦だった。
しかもトップチームではなく、まずはアカデミーのスタッフに就任。ジュニアユースのコーチとして塚元を含めた中学生年代の子どもたちを指導し、翌2016年には高校年代のユースの、2017年にはU-23チームの監督をそれぞれ務めている。
1年目は17試合で勝点33。上々の成績を残して降格の危機を回避した
「自分の経験という強みを、あのタイミングで生かせるものは何かと考えました。選手をやめて間もない中で、伝えられることがたくさんあると思ったので」 ガンバへ復帰した理由をこう語っていた宮本氏は、自身の中で描いていた青写真を大きく前倒しさせ、さらにシーズン途中からトップチームを率いた状況をこう言及していた。
「戦術的な落とし込みをする時間が少ないのは事実ですし、連戦の中でなかなかタッチできない難しさがありますよね。やはり監督は簡単じゃないですよ」 就任直後こそ苦戦が続いたが、9月以降は上向きに転じ、川崎フロンターレとの第25節からはクラブタイ記録となる9連勝をマーク。最終的には10勝3分4敗で勝点を33も上積みさせ、J1残留どころか1桁の9位にまで順位を上げた。
仮定の話になるが、もしもクルピ体制のままクラブ史上2度目のJ2降格を喫していたら、その後のガンバの歴史はネガティブなものに変わっていたはずだ。 その意味でも古巣の窮地を前にして、シーズン途中の難しい状況でも覚悟を決めてオファーを受諾。後半戦にかけて鮮やかに蘇生させた宮本前監督の手腕は評価される。
2年目、遠藤中心だったチームから新たな一歩を踏み出した
迎えた2019シーズン。最終的に12勝11分11敗、勝点47の7位でフィニッシュした中で、宮本前監督の選手起用に大きな変化が見られるようになった。 2001シーズンからガンバの中盤に君臨し続け、クラブが手にした9つのタイトル全てに関わってきた遠藤保仁を見ると、全34試合に出場し、2919分間プレーした2018シーズンから、28試合、1912分間へとプレー時間を大きく減らしている。 プレー時間の減少は、イコール、先発回数の減少を意味する。
2018シーズンで「33」を数えた遠藤の先発回数は、2019シーズンは「20」に激減。翌2020シーズンにはリザーブだけでなくベンチ外の試合も見られるようになった状況で、遠藤が決断を下した。 J2のジュビロ磐田への期限付移籍が発表された昨年10月5日の時点で、J1リーグにおける遠藤の記録は11試合に出場し、そのうち先発は3回、プレー時間は363分となっていた。サッカー界を驚かせた期限付移籍の理由を、遠藤はこう説明している。
「常に長い時間、試合に出たいというのは間違いなく今回の移籍理由の一つではあります。ただ、それだけがクローズアップされるのも僕の中ではどうなのかな、と」 “それだけがクローズアップ”された先に何があるのか。まだまだ第一線でプレーできると自負する遠藤と、実際に選手起用を決める宮本前監督との間に確執があったのでは、と勘繰られかねない状況を、遠藤が暗に嫌がっていた跡が伝わってくる。
遠藤は同時に「ガンバという偉大なクラブには、競争があるのが当たり前なので」とも語っている。遠藤が競争に勝てなかった自分を認めれば、宮本前監督もJ1通算出場試合数を歴代最多の「641」に伸ばしていた遠藤へのリスペクトを欠かさなかった。
ただ、昨シーズンの遠藤は40歳になっていた。ガンバの歴史を語る上で欠かせない偉大な存在でも、人間である以上は、いつかは必ず現役に別れを告げる瞬間が訪れる。公平な競争の中で出場時間を減らした遠藤は、プロとしてジュビロのオファーを選んだ。
世代交代の主役を担う若手選手たちを台頭させた
宮本前監督も、コロナ禍で遠藤のコンディションを見極めながら、いつかは必ず直面するポスト遠藤に、自分がガンバを率いている今こそ着手すべき時期だと判断した。 9月以降の戦いで先発に定着し、遠藤からポジションを奪ったルーキーの山本悠樹は最終的に27試合に出場し、1750分間プレーしている。
しかし、コンディションが整わないのか、真価を問われる今シーズンはここまで11試合中8試合、498分間のプレーにとどまっている。
宮本前監督の下でチャンスを得た若手は山本だけではない。今シーズンは、関西大から加入して2年目の黒川圭介が左サイドバックで、ユースから昇格して3年目の奥野耕平が本職ではない右サイドバックで、故障離脱中の藤春廣輝と高尾瑠の穴を埋めてきた。(※高尾の「高」の正式表記は「はしごだか」) 途中出場が多い状況ながら、昨シーズンはユースから昇格したルーキー、FW川崎修平が15試合に出場。
J3での2年間で18ゴールをあげた18歳、FW唐山翔自(現在はJ2愛媛FCへ育成型期限付移籍中)も、昨シーズン後半に7試合でJ1のピッチに立った。(※川崎の「崎」の正式表記は「たつさき」) すぐには結果を出せないかもしれない。
それでも、ごく近い未来にガンバを背負う覚悟を固めているからこそ、若手の思いを代弁するように塚元はレッズ戦後にこうも語った。塚元もまた昨シーズン後半戦にJ1でデビューし、ここまで通算8試合に出場している。
「立場が下の自分は今日みたいな試合で結果を出して、這い上がっていくというか、序列を上げていかなきゃいけない。ガンバにはすごい選手が数多く所属していますけど、そういう状況も含めて自分は常にチャレンジャーとして、練習から取り組んでいきたい」
宮本恒靖体制の3年間は3つの遺産を残し、未来につなげられるはずだ
ごく近い未来から逆算してガンバの歴史を振り返ったとき、宮本前監督に率いられた約3年間は、J1での軌跡を紡ぎ続けた点、遠藤が長く中心を担った時代から新たな一歩を踏み出した点、そして世代交代の主役を担う候補たちを台頭させた点が遺産となる。
昨シーズン2位に入って獲得した、4シーズンぶりとなるAFCチャンピオンズリーグ出場権も若手たちが未知なる戦いを経験し、成長できる舞台と考えれば宮本前監督の置き土産となる。
ただ、下位4チームが自動的にJ2へ降格するレギュレーションの中で最終的に残留できなければ、今シーズンの序盤戦だけがクローズアップされる形で負の遺産と位置づけられる。
まずは迷いなどの感情を全て振り払い、19歳の塚元が決意を込めて口にした「プレーするのは選手」という原点に回帰する。その上で過密日程となる残された27試合でどんな形でもいいから勝点をもぎ取り続け、這い上がっていくしかない。