2020年Jリーグ引退選手5人(3)。クラブの象徴として愛されたDF、ブラジル人レジェンドたちも

明治安田生命Jリーグは2020年の全日程を終えた。未曽有のシーズンとなった今季も、長年に渡って活躍した選手が現役引退を決めている。フットボールチャンネル編集部では、今季限りで現役を引退した選手を5人ずつ紹介する。(クラブは2020年の最終所属)

6クラブでプレーしたブラジル人ストライカー

FW:レアンドロ (東京ヴェルディ)

生年月日:1985年2月12日(35歳)

J1通算成績:188試合出場/87得点

J2通算成績:93試合出場/44得点

2005年に日本初上陸を果たし、通算14シーズンにわたってJリーグでプレーした。大宮アルディージャ、モンテディオ山形、ヴィッセル神戸、ガンバ大阪、柏レイソル、東京ヴェルディと在籍したクラブは6つにのぼり、神戸時代の2016年にはJリーグ得点王にも輝いた。

日本での公式戦出場数は300試合を超え、140以上ものゴールを積み重ねた。J1通算87得点は、外国籍選手としては歴代5番目の記録。紛れもないJリーグのレジェンドプレーヤーの1人で、在籍した全てのクラブのファン・サポーターに愛し信頼された。

J1得点王とベストイレブンに輝いた翌年、神戸の一員として臨んだ2017年のJ1開幕戦で左ひざ前十字じん帯損傷および外側半月板損傷という大怪我を負い、一度は復帰したものの直後に同じ箇所の負傷を再発。合計で1年半近い離脱期間を経てピッチに復帰したものの、以前のようなパフォーマンスを取り戻せず。2018年夏からは東京Vに活躍の場を移したが、完全復活には至らず現役引退を決断した。

地元愛溢れるマルチDF

DF:徳永悠平(V・ファーレン長崎)

生年月日:1983年9月25日(37歳)

J1通算成績:396試合出場/5得点

J2通算成績:68試合出場/4得点

国見高校時代の2000年と2001年に全国高校サッカー選手権連覇を経験し、2002年から早稲田大学に進学。大学在学中からFC東京の特別指定選手としてJリーグの舞台に立ち、2004年にはアテネ五輪にも出場した。そして本格的にプロの世界に入った2006年以降もFC東京で主力として活躍し、2007年12月に初めて日本代表候補に選ばれた。

2009年に念願の日本代表デビューを飾ると、2012年にはオーバーエイジ選手としてロンドン五輪のベスト4進出に大きく貢献した。左右のサイドバックを遜色なくこなす万能性や、時にはセンターバックでもプレーできるフィジカルの強さも兼ね備え、2006年から2016年まで11年連続でリーグ戦30試合以上に出場するタフさを誇った。

2015年にJ1リーグ通算300試合出場を達成。そして2018年からはクラブ史上初のJ1参戦を果たしたV・ファーレン長崎へ移籍。地元・長崎県に戻って3年間プレーし、現役引退を表明した。今後も「長崎のために貢献できる仕事をしたい」と地元への強い思いを持っている。日本代表通算9試合出場。

多彩な趣味を持つ歴戦のSB

DF:小林祐三(サガン鳥栖)

生年月日:1985年11月15日(35歳)

J1通算成績:365試合出場/5得点

J2通算成績:70試合出場/1得点

静岡学園高校時代から世代別代表の常連となり、2004年に柏レイソルでJリーグデビュー。その後は17年にわたってJ1とJ2合わせて400試合以上に出場してきた。2011年からは横浜F・マリノスへ移籍し、すぐに右サイドバックのレギュラーとなって2013年の天皇杯制覇にも大きく貢献。2017年からサガン鳥栖に在籍していた。

A代表歴こそないものの、2005年にはU-20日本代表の一員としてワールドユース(現U-20ワールドカップ)の舞台にも立った。染髪禁止の鳥栖へ移籍するまでは金髪がトレードマークで、サッカー以外にも音楽やファッションなど多岐にわたる趣味を持つ。

マリノス時代には音楽好きが高じて、Jクラブとしては異例のDJイベント「マリノスナイト」の創設にも大きく関わった。最近ではサッカー界から多彩なゲストを招いてトークを展開する「TT LOUNGE FM」というラジオ番組的ポッドキャストも主宰している。2021年からは「プロサッカー選手引退」を表明しているが、現役選手としてはプレーを続ける予定で、関東サッカーリーグ1部のCriacao Shinjukuにて活動していくことが決まっている。

“全消し”の魂を持つ小平市観光まちづくり大使

DF:吉本一謙(清水エスパルス)

生年月日:1988年4月24日(32歳)

J1通算成績:72試合出場/1得点

J2通算成績:64試合出場/4得点

J3通算成績:17試合出場/0得点

FC東京のクラブハウスや練習場がある小平市出身で、U-15から同クラブで育った。日本代表GK権田修一や、今季までFC町田ゼルビアでプレーした森村昂太などが同期にあたる。2007年に彼ら2人とともにFC東京のトップチーム昇格を果たしたが、なかなか出場時間を伸ばせず。FC岐阜や水戸ホーリーホックへのレンタルを経て2013年に復帰すると、ひざの故障を克服した2014年からはFC東京の貴重な生え抜き選手としてトップチーム定着を果たした。

2018年6月からの約1年間はアビスパ福岡で過ごし、2019年7月に清水エスパルスへ移籍。今季はひざの負傷によりリーグ戦終盤2試合のみの出場にとどまったが、最後にしっかり存在感を発揮してスパイクを脱いだ。類い稀なリーダーシップと明るいキャラクターで、FC東京をはじめ在籍した全てのクラブでファン・サポーターに愛された。

センターバックとしてプレーしていた吉本は、技巧的なプレーではなく、恵まれたフィジカルを活かしたパワフルなプレースタイルで鳴らした。ゴールを捨て身のディフェンスで死守し、体を張ってあらゆるシュートコースを消す“全消し”の魂を持つ選手としても知られる。それゆえに負傷も多く、キャリアで10回もひざにメスを入れていたという。現役最後の試合となったJ1最終節のガンバ大阪戦では先発出場して2-0の勝利に貢献。ツイッターでは「最後の試合でサッカーの最高に楽しい瞬間を味わえました!!」と喜びをつづった。

誰からも慕われた“フェルさん”

FW:フェルナンジーニョ(ガイナーレ鳥取)

生年月日:1981年1月13日(39歳)

J1通算成績:184試合出場/47得点

J2通算成績:17試合出場/1得点

J3通算成績:128試合出場/39得点

2004年に母国ブラジルのサンカエターノからガンバ大阪に加入し、翌年はベストイレブンにも選ばれる活躍でJ1リーグ初優勝に大きく貢献した。2006年途中で西野朗監督の構想から外れ、2007年は清水エスパルスへ期限付き移籍。2008年途中からは京都サンガF.C.に在籍した。

その後、ブラジルに戻るが、4度にわたって救世主的にJリーグ復帰を果たすことになる。大分トリニータ、ベガルタ仙台、ヴァンフォーレ甲府、そしてガイナーレ鳥取と、合計7つのJリーグクラブでプレーした。小柄ながら切れ味鋭いドリブルと優れた得点感覚、長年の経験で培った日本語力も見事だった。

2014年から計6シーズンにわたってプレーした鳥取では、岡野雅行GMとともにブラジル人選手の発掘やサポートにも深く関わっていた。現在浦和レッズで活躍するFWレオナルドは、サントスのBチーム時代にフェルナンジーニョと岡野GMが見出し、日本に連れてきた選手だ。ブラジル人にも日本人にも慕われる“フェルさん”は、現役最後の試合となったJ3最終節のロアッソ熊本戦に先発フル出場し、自らラストゴールも決め、勝利で有終の美を飾った。

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