“戦国武将子孫”DF丹羽大輝は2度死の淵に立った 日刊スポーツ 9月6日(日)8時18分配信

日本代表DF丹羽大輝(29=G大阪)が、2度死のふちに立っていた。小学生の頃、阪神・淡路大震災と大事故を経験。何事にも屈しない精神力は、この2回 の経験がもととなった。G大阪下部組織出身ながら、J2クラブなどに期限付き移籍を繰り返した苦労人。しかし、先祖に織田信長らに仕えた戦国武将の丹羽長 秀を持つ“侍魂”で、A代表入りを果たすまでに成り上がった。

ガッツあふれる29歳。丹羽は、いつも前向きで、どんなときも下を向かない。丹羽家は、兄圭介さん(32)もプロキックボクサーで現在11連勝中。闘志あふれる血筋だ。その弟大輝の熱い魂の源は、過去2回にわたって生死をさまよった経験だった。

1度目の悲劇は、丹羽の楽しい9歳の誕生日を終えた翌朝に起こった。95年1月17日の阪神・淡路大震災だった。当時、丹羽一家は兵庫・西宮市に住んで いた。「幸い家族は全員無事だったが、死の恐怖に直面した。家はほとんど全壊。西宮北口駅のかなり近くに住んでいたので、電車とかが倒れて…。被害が大き かった。弟にとっても、すごく怖い体験だったはず」と圭介さんは振り返った。

2度目は、被災を経験した後の大事故。小学生の頃、帰り道にお決まりの遊び場があった。約10メートルの深さがある溝を覆っている金属板の上で、はねて遊ぶのがお気に入り。ある日、誤って金属板から転落。10メートルの高さからたたきつけられた。

兄は「大輝は意識がなくて、かろうじて『即死』を避けられた状態。すぐに救急車で運ばれたが、重傷だった。死と隣り合わせ。大輝がいなくなってしまうの かと思った」と、声を震わせた。「九死に一生を得た」とは、まさにこのことで、ランドセルが下敷きとなり一命をとりとめた。

それから“侍魂”に火が付いた。戦国武将丹羽長秀の血が流れる熱血漢は、G大阪ジュニアユース堺からユース、トップと順調に昇格。しかし、出場機会に恵 まれず、5年間で3クラブを渡り歩いた。それでも、家族に1度も弱音をこぼさなかった。死のふちに立った経験から、何度転んでも立ち向かう侍のような精神 力。兄も「大輝は、人生の突き詰め方を分かっている」とうなずいた。

日本代表まで上り詰めた。来年1月に30歳を迎える丹羽は、今回の代表メンバーで、長谷部に次ぐ2番目の年長者。センターバックとしての出番は少ないか もしれないが、かつて織田信長に仕え信頼された先祖のように、精神的支柱としても期待される。6大会連続のW杯出場へ。2度の大きな山を越えた29歳が、 日本代表をどんな困難からも救い出す。【小杉舞】

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