宇佐美×柿谷の「天才対談」が初実現 宿敵クラブのエース2人が持つ互いの印象とは?

【宇佐美貴史×柿谷曜一朗“天才対談”|第1回】大阪の名門クラブを背負う“3学年違い”のエースが初対談
大阪の宿敵2チームの“禁断”対談が初めて実現した。新型コロナウイルスの影響でJリーグが中断するなか、ガンバ大阪FW宇佐美貴史とセレッソ大阪FW柿谷曜一朗が、オンラインでFootball ZONE webの独占インタビューに応じた。J屈指の盛り上がりを見せる大阪ダービーで数々の熱戦を繰り広げてきた両クラブのエース。アカデミー出身で、幼い頃から“天才”と呼ばれた2人は、G大阪とC大阪の象徴的な存在としてプレーしてきた。ライバル同士のチームを牽引する宇佐美と柿谷が、それぞれ抱える思いとは――。互いのプレーの印象や、現役引退後の話まで全8回の連載でお届けする。第1回は「出会い」について、両者が感じた“ファーストインパクト”を語り合った。

全国56クラブが熱戦を繰り広げるJリーグだが、地域ごとに特別なライバル関係が存在する。川崎フロンターレとFC東京が激突する「多摩川クラシコ」や、浦和レッズと大宮アルディージャの「さいたまダービー」など、宿敵同士だからこその名勝負が繰り広げられてきた。そのなかでもJ屈指の盛り上がりを見せるのが「大阪ダービー」だろう。G大阪、C大阪とも育成面に力を入れており、これまで数多くの名選手を輩出。“名門”としてのプライドはアカデミーの選手にもDNAとして刻み込まれ、互いをライバルとして意識する。

青い血が流れる28歳の宇佐美と、ピンクの血が流れる30歳の柿谷は、そんな両クラブが育て上げた象徴とも言える存在だ。ジュニアユース時代から“天才”と呼ばれ、期待を背負ってきた3学年違いの2人は、これまで互いをどのように認識していたのだろうか。

柿谷「(宇佐美との対談が)やっと実現しましたね。(関わりは)代理人(交渉人)が一緒っていう、ほんまそれぐらいかな。ほとんど関わりはない。飯に1回行ったっけ?」

宇佐美「行きました」

柿谷「5年ぐらい前? 俺がスイス(バーゼル所属)時代、(オフで)帰ってきた時かな。(ピッチ上では)去年のダービーが初で、代表でも一緒にやっていない」

年代別代表やA代表も経験し、ワールドカップのメンバーにも選出された宇佐美と柿谷。だが、3学年違うことから一緒にプレーしたことはなく、2人とも海外挑戦をする時期があったため、直接対戦したのは昨年9月28日の第27節大阪ダービー(3-1でC大阪勝利)が初めてだった。だが、もちろんエースとして両チームを牽引してきた2人にとって、互いの存在は大きかった。

宇佐美「曜一朗くんは、俺が中学生ぐらいからU-15代表でバンバンやっていて、ずっとその世代で“天才”の名前を欲しいままにしていた。みんな言ってた。曜一朗くんと一緒にU-15代表やった人たちからも『あの人は抜けている、ヤバイ』っていう話をずっと聞いていた。ずっと聞いたり見たりしていたけど、この大阪の距離感でライバルチームにいながら、ほんまに対戦することがなかった。でも、天才的なプレーをしている人っていうのは昔から知っていたし、中学校ぐらいからずっと見ていた」

運命のいたずらか…なかなか競演が叶わなかった“天才”コンビ
両者とも高校2年生でトップデビューを果たし、当時から将来を嘱望されてきた。だが、運命のいたずらか、なかなかJリーグのピッチでの競演が叶わない。宇佐美が高校2年生になった2009年、柿谷はJ2徳島ヴォルティスに武者修行へ。11年には宇佐美がドイツの強豪バイエルン・ミュンヘンへ移籍を果たし、翌12年に柿谷はC大阪へ復帰した。13年の途中に宇佐美は当時J2だったG大阪へ戻り昇格に貢献。だが翌14年の開幕前に負傷し、両者“初競演”の可能性があった第7節の大阪ダービー(2-2)を欠場してしまう。するとその夏、柿谷がバーゼルへ移籍。16年に当時J2だったC大阪に復帰するものの、今度は宇佐美が2度目の海外挑戦を決意し、昨夏のG大阪復帰後、ようやく“初対戦”が実現した。

長い年月をかけてJリーグの同じピッチに立ったものの、アカデミー時代の第一印象は忘れられないようだ。

宇佐美「ジュニアユースの時、1回ね、ガンバの練習場でガンバユース対セレッソユースのリーグ戦があって。中学校やから呼び捨てで呼んじゃうけど、『柿谷来ているらしいよ』みたいになって、中1か中2やったかな。練習場見に行ったのが、最初に生で見た時。もう、格好良かった。その当時、髪の毛長くて『染めてるやん!』みたいな(笑)。ガンバユースの人たちにすごくリスペクトがあったけど、髪をなびかせながらドリブルで切り裂く曜一朗くんの姿が格好良かった。『なんじゃこの人は』というのをネット越しで見ていた」

柿谷「たぶん、最初に『こいつえぐい』ってなったのが、豊田カップ(国際ユース大会)かな。(年代別)代表で永井龍(サンフレッチェ広島)とかと一緒に出てたよな。その時、初めて存在を知った。ガンバユースって常に上の代まで『若いのでえぐいやつおる』って聞こえてくる。俺が初めて下の代で『えぐい選手おる』って聞いたのが、貴史やった。それで、その代表の試合見て、貴史がボール持ったらずっと(前まで)いくわけよ。俺もそういうプレーしたいけど、俺とは全然タイプが違って、貴史は道が見えている。貴史のために道が開いている感じ。気持ちええやろうなあ~って思ったのが最初」

当時、U-16日本代表として2007年の豊田国際ユース大会に出場した宇佐美は、2度目の優勝に貢献。決勝でもUAE代表を相手にゴールを挙げ、大会MVPに選出された。この活躍は柿谷の脳裏に焼き付けられたようだ。

柿谷「俺は貴史みたいに3人、4人抜かれへんから。抜き方って選手一人ひとり違うけど、俺の理想な抜き方をしていた。やのに3個ぐらい下。森本(貴幸)くん見た時以来の衝撃を受けた」

宇佐美「凄いな(笑)」

ここまで縁がなく、同じピッチ上に立つことはほとんどなかったが、互いに天才的なプレーで強烈な印象を残していた。この忘れることのできない”出会い”は、2人にとってかけがえのない刺激になったことだろう。

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