G大阪遠藤は後悔の連続、体が動く限り戦う/手記

28年目のJリーグが21日に開幕する。ガンバ大阪の元日本代表MF遠藤保仁(40)は、あと1試合ピッチに立てば19年1月に引退した楢崎正剛氏(名古屋グランパス)の持つ631試合のJ1最多出場記録に並ぶ。

順調にいけば23日の横浜F・マリノスとの開幕戦(日産ス)でタイ記録、3月1日ベガルタ仙台戦(パナスタ)で新記録樹立となる。プロ23年目に突入する鉄人は、大記録を前に日刊スポーツに手記を寄せた。

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631試合は昨年から頭にありました。数字にはこだわってこなかったが、ここまで来ると、楢崎さんの偉大な記録を抜きたい。あと1試合、あと2試合。いいモチベーショになっている。

記録が達成できれば要因は2つあると思う。1つはけががなかったこと。多少のけがはけがとも思わなかった。もう1つは、西野さんといった歴代監督らとの巡り合わせ(※表1)。使う、使わないは監督の判断。その中で実力と運がなければ試合に出られなかったとも思う。

僕はゲームをつくって流れを読み、的確な判断や位置取りに自信がある。最近は運動量が少ないと言われるが、一番重要なのは、いかに球をもってゴールを決めるか。周囲の声はまったく気にしない。

警告を受けることも意識はしてこなかった。極論すればチームが勝つならレッドカードでももらう。フェアプレーは素晴らしいことだが、時には危険を冒してでも、やらなきゃいけないプレーはある。警告は少ない方(※メモ1)だが、もらうときはもらう。それが自分の考え方だ。

06、08年はそれぞれ病気(ウイルス性肝炎など)で1カ月以上離脱した。本当にサッカーがやりたくてもやれなかった。あれだけ長期間休んだのは初めてで、改めてサッカーが好きだと思った。あの経験は2度としたくない。

(07、08年の自分のように)代表とJリーグでほとんど試合に出ている選手であれば、僕が監督であれば絶対休ませる。試合が一番消耗するし、移動による疲れがある。当時の西野監督、ブローロ・フィジカルコーチには、意見を聞いてもらい(適度に練習を)休ませてもらった。そういう監督がいてよかった。

サッカー人生を振り返れば後悔の連続だった。トータルでは幸せだけど、プレーもフィールド外でもたくさんある。話そうと思えば3年かかる。(海外からオファーがあっても)行きたいところ、行きたくないところがあった。タイミングもあった。時代が違うので自分が今、20歳なら2部でも3部でも海外に行くでしょうね。

日本代表での出場数は150試合を超え(※表2)、昨年は公式戦通算1000試合に出場した。だから今回の記録を達成しても、自分の中では3、4番目の価値になるかもしれないけど(笑い)。

今はひそかな楽しみがある。息子(楓仁=ふうと、G大阪ジュニアユース所属で今春から中3)と同じJリーグでプレーすること。兄弟でプレーする人はいても、親子同時ではいない。でも、息子がJリーグのクラブに入る方がハードルは高いでしょう。僕はしがみつけばプロでいられるかもしれないけど。とにかく楽しんでサッカーをしてほしい。

40歳でサッカーをして、きつくない人がいたら出てきてほしい。現実を隠そうとか、背伸びする必要はない。いつ終わるか自分も分からない。現実を受け入れ、最終的には悔いなく、気持ちよく終われたらいい。体が動く限り、チームから不要だと言われない限り、頑張ります。(G大阪MF)

◆遠藤保仁 えんどう・やすひと。1980年(昭55)1月28日、鹿児島県生まれ。鹿児島実から98年横浜F入りし、京都を経て01年G大阪移籍。日本代表では02年11月20日アルゼンチン戦に初出場し、W杯は06年ドイツ、10年南アフリカ、14年ブラジル大会代表。国際Aマッチ152試合出場(15得点)も歴代1位。緩やかに蹴るコロコロPKが得意。178センチ、73キロ

◆遠藤の出場停止 過去22年でJ1で退場処分を受けたのは1度だけ。横浜Fでの1年目で1試合2度の警告によるもの。他での退場はACLと日本代表で各1度。累積による出場停止は、J1では09年7月19日柏戦以来10年以上もない。年間で警告なしは17、19年だけで3、4度受けても出場停止までいかないのが特長。警告を受けた回数は1位がFW大久保(現J2東京V)の103度、遠藤は10番目に多く75度。

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