明神智和「1月1日まで戦うのが当たり前。それがガンバの伝統」…15年度天皇杯優勝後掲載の再録

柏やG大阪、名古屋、長野でプレーした元日本代表MF明神智和さん(41)が昨季限りで現役引退した。スポーツ報知ではG大阪時代の16年元日(15年度)の決勝で浦和を下して天皇杯優勝した後に掲載した記事を元日に合わせて再録する。(年齢、所属などは16年1月2日時点)

今季限りでG大阪を退団する元日本代表MF明神智和(37)が、スポーツ報知に独占手記を寄せた。10年間在籍したクラブ、チームメートへの感謝、そして新たなクラブでの決意も語った。

あっという間の10年間でした。色々な思い出があって、短い時間では語り尽くせません。いい思い出がいっぱい残っています。ここで積み重ねてきたものを、自分の武器、財産としてこれからもやっていきたいと思います。

僕は06年にG大阪に来ましたが、このクラブは05年にリーグ優勝して、そこからはタイトルを取らなきゃいけないという使命を持ったチームになったと思います。(タイトルを)取れなかった年は、チームが駄目な年。1個取って、まあ何とかOKって感じで。タイトルを1つも取れない年は、いくら決勝までいってもダメな年なんです。毎年、天皇杯決勝の1月1日まで戦うのが当たり前だと思ってやっています。それがガンバの伝統になりました。

12年に(J2に)降格して、苦しい時期もありました。(13年に)長谷川監督が就任して、印象的だったのは最初のミーティングです。「ガンバは外から見ているとうまい、楽しいサッカーという印象は強い。だけど、強いとは思われていない。うまいだけじゃなく、強いと思われるようにならなきゃいけない」と。楽しい、いいサッカーをしていることで勝てないことから逃げちゃいけない。そう考えられるようになりました。

チームメートにも恵まれました。ヤット(遠藤)はずっと第一線で、質の高いプレーを続けています。本当にすごい。常に1日1日、地道なトレーニングを積んでいるのは見ています。一緒にプレーできたのは財産です。

(宇佐美)貴史はユースから上がってきた時は「まだ高校生」という印象だったけど、ドイツ(バイエルン)から帰って来て成長していました。点を取ることに対して、自分がやるんだ!っていうのをすごく感じるようになって。ドリブルでの仕掛け、シュート精度が素晴らしい。貴史のプレーが大好きなんです。

長く一緒にプレーしたフタ(二川)にもすごく影響を受けました。ヤットとは違うけど、パスの発想とか、プレーを見ていて楽しかった。コンちゃん(今野)は同じポジション(ボランチ)で、ボールを奪う技術はすごい。普通は相手がドリブルしてきたら、(守備側は)ボールを(足で)突きにいく。でも、コンちゃんは相手とボールの間に足を入れる。蹴られても相手がボールを触るのをブロックして、自分のボールにできる。まねをしようとしても、あの発想はできないですよ。

長谷川監督は選手を平等に見てくれたし、細かい心理にも気を配ってくれた。J2の時に(13年)、個別で呼ばれて試合の映像を見せられたことがあります。僕自身、無意識にやっていた守備、中へのパスを切らなかった動き、相手を前に向かせてしまったプレーに対し「これは良くない」と、はっきり指摘してくれました。この年(当時35歳)で気付かせてくれたのは大きかったですね。他にも仲がよかった(岩下)敬輔や(金)ジョンヤ、名前は挙げきれませんけど、みんなに感謝の気持ちでいっぱいです。

(G大阪に)僕が何かを残したかどうかはわからないですけど、少しでも見て、何かを感じとってもらえていたらうれしいです。(決勝ではベンチに入れず)いち選手として悔しい思いはありますし、納得をしてはいけないと思っています。僕は現役として、次のシーズンに悔しさをはらすために、新たなチームで勝負していきます。(G大阪MF)

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