宇佐美貴史、“失意”を力に変えて… 覚悟のG大阪復帰、揺るぎなき「2つの目標」とは?

【インタビュー④】諦めない欧州挑戦 「チャンスを作りたい。俺もまだ」
ガンバ大阪にあの男が帰ってきた。

6月24日、ドイツ1部アウクスブルクからFW宇佐美貴史が完全移籍で加入すると発表された。そして7月20日、アウェーで行われたJ1リーグ第20節の名古屋グランパス戦(2-2)で3年ぶりにG大阪のユニフォームを着て試合に出場。1-2で迎えた後半アディショナルタイム1分に劇的な同点ゴールを決めて、いきなり“救世主”となった。

ドイツでの戦いを終えたばかりの宇佐美は今、どんな思いを抱いて再びJリーグのピッチに立つのか。古巣帰還が発表されて間もない頃、大阪府吹田市の万博練習場で汗を流す宇佐美を直撃。全4回で宇佐美が思い描く現在、過去、未来をお届けする。最終回となる今回は「思い描く未来」について――。

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3年ぶりの青黒のユニフォーム、敵地に響き渡る馴染みのチャント。久しぶりのJリーグとなった名古屋戦で、宇佐美は噛み締めるようにプレーした。コンディションは完璧ではないが、FWや中盤でフル出場。1点を追う後半アディショナルタイム、右サイドからの崩しに反応してゴール前まで走り込み、ファーサイドへのクロスに頭で合わせて決めた。復帰後即の“ただいま”弾。敗色濃厚の一戦で土壇場で同点に追いつき、まさに救世主となった。

もちろん、これこそが再びG大阪に戻ってきた意味の一つ。下部組織から育ち、2度の欧州挑戦へ送り出してくれたクラブを救うため。だが、それだけではない。プラチナ世代と言われる宇佐美も27歳。プロになって10年が経った。山あり谷ありのキャリアのなかで、今も確かに思い描くビジョンが二つある。

「チャンスを作りたいと思う。俺もまだ」

一つ目は、3度目となる欧州への挑戦。1度目は19歳の時、ドイツの“絶対王者”バイエルン・ミュンヘンへ期限付き移籍し、2度目は24歳の時、同じブンデスリーガのアウクスブルクへ渡った。ドイツではバイエルン、ホッフェンハイム、アウクスブルク、デュッセルドルフの4つのクラブに在籍。デュッセルドルフ1年目は当時2部で28試合8得点、終盤にフィットして優勝の立役者となったが、すべての結果に満足しているわけではない。

「欧州へのチャンスもなしにしたくない。そういう挑戦を続けられる立場でいたいし、(海外に)行ったら分かる、行けば分かることのほうが多いから。世界が広がる」

2度の欧州挑戦は、決して“成功”と言えるわけではなかった。だが、繰り返し挑戦したことで少しずつ扉も開けた。今では不自由なくドイツ語を操り、課題と言われていた精神面も何度も挫折を味わうことで成長を遂げた。想像を絶する苦しい思いを2度しても「挑戦を続けたい」と簡単に言えるだろうか。強い覚悟があってこそ――宇佐美はすでに“成功”へのイメージも描けている。

「大事なのは、(自分の)スタイルに合ったチームにいくこと。俺の行ったチーム(アウクスブルク、デュッセルドルフ)は降格圏とか残留争いのところやったから、リアクションのサッカーやし、ボールを回されて走りながら、『こいつら(対戦相手は)サッカー面白いやろな』って思っていた。そういう(ボールを持てる)チームに上手くポンと入れたらまた違ったやろうし、俺はそういうチームへのステップを踏まないといけなかったけど、まず失点ゼロで入るというサッカーのなかで、苦戦したというのはある。それも実力やったから、シンプルに自分の力不足というのがあったけどね」

再び日本代表へ カタールW杯行きの切符をつかむため…
二つ目は日の丸を再び背負うこと。そして、30歳で迎える3年後のカタール・ワールドカップ(W杯)に出場すること。初めてのW杯だった昨年のロシア大会は、2試合に出場。先発はグループリーグ第3戦のポーランド戦のみにとどまった。森保ジャパンでは3月に1度招集されただけだ。今は後輩のMF堂安律(フローニンゲン)らが主軸を担っている。若い世代が台頭してきているが、もちろん関係ない。

「(代表に)復帰したいし、3年後のW杯、やっぱり出たい。でも、今、日本に戻ってきた以上、欧州にいる選手より、より高いレベルを意識しないといけない。トレーニングから。強度も全然違うやろうし、いろんなことを考えて、いろんな努力、実になる努力をしないといけない。危機感を持ってやらないといけないなと思います」

昨年のロシアW杯、宇佐美はメンバー入りに懸けていた。W杯のためにアウクスブルクから17年にデュッセルドルフへ期限付き移籍。環境を変えて、同年12月頃からはまず体質改善に取り組んだ。ダイエットではなく、栄養学の講師からマンツーマンで授業を受け、消化器官へアプローチする方法を学んだ。例えば、食事前に発酵食品を取ることで老廃物を少なく、吸収率を向上させることができるという。食事量を変えずに、食事方法を変えることで、体を軽く、パワーを落とさない体を手に入れることができた。

同時期から個人トレーナーの田辺光芳(みつよし)さんと肉体改造にも取り組み、武器の一つであるドリブルを強化。田辺さんによると、宇佐美の筋肉は付き方が周囲に比べて「しなやかで柔らかい」と言うが、一方で右肩甲骨が硬く、走る時には無駄な力が入ってしまっているという。力が入ると、90分間のなかでどうしても疲労が出てしまう。細かく正しいフォームを身につけることで運動量、スプリント数が増えていった。

もう一度欧州、もう一度W杯 宇佐美の見据える未来
そうしてつかんだW杯切符。ロシアでは、やはり経験豊富なベテランの力が偉大だった。MF長谷部誠(フランクフルト)やMF本田圭佑(メルボルン・ビクトリー→未定)ら精神的支柱の存在、そして30歳だったMF乾貴士(エイバル)はムードメーカーとしてチームを盛り上げ、プレーでも牽引。グループリーグ第2戦セネガル戦、決勝トーナメント1回戦ベルギー戦での2得点は、記憶にも記録にも残るものとなっただろう。間近で見ていた宇佐美は30歳で迎えるW杯の意味を十分理解している。だからこそ、また一から目指す場所に立った。

「失敗した時、落ち込んだ時は、それが上がるきっかけになる」

「天才」「至宝」と呼ばれた少年だった。最初から完璧だったわけじゃない。だが、宇佐美が持っていた“脆さ”こそが自身を強くした。砕けるたびに必死でかき集め、より強固なものを作り上げていった。目標を追えば、また壊れてしまうかもしれない。だけど、それを恐れる姿はもうどこにもない。七転び八起き――。転んでも起き上がれば、確実に一歩進んでいる。

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