堂安律を直撃。驚異のコミュ力でチームに君臨、ロシアW杯代表も狙う

「毎日がめっちゃ楽しい。ここにきてホンマによかった」

2017年6月23日、ガンバ大阪からオランダのFCフローニンゲンへの移籍を発表。日本を旅立ってからおよそ5カ月半、久しぶりに会った堂安律は開口一番、そう言って笑顔を見せた。

その”楽しさ”は、フローニンゲンでの充実ぶりを示している。事実、昨年末に取材した直近のリーグ戦では、11試合続けて先発出場(第16節終了時点)。そうして、コンスタントに公式戦のピッチに立ってプレーしていることは、彼の”楽しさ”を増幅させ、新たな欲を抱くきっかけにもなっているようだ。

そんな彼は今、自身が描く未来予想図に向かってどんな日々を過ごしているのか。オランダに渡った19歳のチャレンジに触れた――。

――念願の海外移籍を実現して5カ月半。イメージしていたとおりの時間になっていますか。

「イメージ以上です。日本にいるとき以上に、自分に対しても、これから先の未来についても、可能性が膨らんだ気がするし、より将来が見えやすくなったようにも思います。

正直、ここに来るまではもっと過酷だと思っていたし、特にピッチ外で苦労すると覚悟していたけど、(それとは裏腹に)今はあまりにもチームメイトと仲よくなり過ぎていて……自分のコミュニケーション能力に驚いています(笑)」

――コミュニケーションを深めるうえで、意識したことはありますか。

「単純に会話を心掛けることはもちろんですが、その中でも周りにナメられないように、とは意識していました。だからこそ、加入したての頃に『ジャパン』などとからかわれたときには、あえてキレるようにしていた。でも、それで孤立しては意味がないから、向こうが謝ってきたら、すかさず肩を組みにいくなど、とにかく起きることすべてに大げさに反応していました。

それは、加入に際して『ポジション、自分の役割を考えても、このチームの中心的な立ち位置にならなければいけない』と感じていたから。仮に僕がサイドバックなら、ある意味『イジられキャラ』でもよかったかもしれないけど、(自分の)ポジション的に考えても僕が攻撃の軸になるべきだと思ったし、だからこそピッチ外での振る舞いがピッチ内にもつながっていくということを踏まえて、自分のキャラクター、雰囲気を作っていこうと考えた。それもあって、移動バスの座席も、入ってすぐのときから、一番いい場所を自分のものにしました(笑)」

――周りもそれをすぐに受け入れてくれましたか。

「いや、最初は否定されました(笑)。実際、それまでキャプテンが座っていた席だったこともあり、他の選手から『ノー、ノーノー』とも言われましたしね。でも、そこは英語を知らないフリをして……いや、『ノー、ノー』くらいは(自分だって)わかるんですよ(笑)。でもあえて知らないふりをして、堂々と座っていたら、自然と……というか、ピッチで結果を残せるようになるにつれ、そこが僕の席になった。

とか言いつつ、最初の1、2カ月は、その席をとられないために、試合が終わると猛ダッシュで一番にバスに乗り込んでいたんですけど(笑)。でも、今はそんなふうに慌てなくても、僕のために席が空いているし、試合後にiPadで(試合の)映像を見るときも、その席が一番見やすいからと、みんなが僕の席に集まってきます」

――開幕戦にいきなりスタメンでデビューを飾ったあと、その後4試合は試合に出られない時間が続きました。あの時期はどんなことを考えていましたか。

「正直、あそこが相当キツかったです。2試合目のアヤックス戦で先発から外れたときも、監督には『相手との力関係を考えて、チーム戦術も守備的に戦うからスタメンから外す』と説明されましたが、僕としては『いやいや、開幕戦の出来さえよければ使われていたはず』と受け止めていましたからね。

でもだからこそ、悔しかったというか。いろいろなことを全部捨てて海外に来て……いきなり1試合、あまりよくないパフォーマンスをしただけで外されるってことが、消化し切れなかった自分もいました。

もっとも、そのおかげで『次に試合に出たときには絶対に後悔しないパフォーマンスを残そう』という考えも芽生えてきたし、だからこそ監督にも、開幕戦で左サイドで起用されたことに対して、『僕はカットインして自分の特徴が出るタイプなので、右サイドか、トップ下でプレーしたい』と自ら伝えにいきました」

――ガンバ大阪でプレーしているときは、そんなふうに自分の意思を言葉にして伝えることがほとんどなかったことを考えれば、そうした言動は海外でプレーすることへの覚悟の表れでもあったのでしょうか。

「そのとおりです。自分なりに大きな決断をして海外にきたからこそ、『後悔したくない』『やらずに後悔するなら、やって失敗したほうがいい』という思いから、そういうアクションをするようになった。

それに、実は僕、めちゃめちゃ不安症なんです(笑)。だからこそ……これは、ガンバにいたときもそうでしたが、『この先どうなるのかな』とか考えて不安になりたくないから、起きたことに対して、できるだけ早く解決する方法を考える。それもあって、今でも随時、自分の考えは監督やチームメイトに伝えるようにしています。

あと、こっちでは年齢は関係なく……、それこそ僕くらいの年齢で活躍している選手は山ほどいますから。フローニンゲンもボランチが17歳と20歳、トップ下の僕が19歳、左サイドハーフが21歳と若いチームで、しかもその17歳のボランチなんて、試合を重ねるごとにメキメキと巧くなっていっている。そういう姿を見ているからこそ、僕も19歳という年齢に甘えたくないし、日本では若いとされたこの歳に、焦りすら覚えます(笑)」

――昨年5月のU-20W杯などでも同世代との試合を経験されました。あのとき感じた”同世代”と、実際に海外に出て感じたそれとは違ったということでしょうか。

「違いますね。正直、U-20W杯のときはあまり同世代に差を感じなかったけど、あれから約半年過ぎた今は……。例えば、同大会で優勝したイングランドの選手で、MVPを獲得したFWドミニク・ソランケ(リバプール)は、先日のプレミアリーグのアーセナル戦でもスタメン出場していたし、僕らが予選で戦ったウルグアイ代表の20番、MFロドリゴ・ベンタンクール(ユベントス/イタリア)も、チャンピオンズリーグのバルセロナ戦でスタメンのピッチに立っていましたからね。

そうやって、世界では当たり前のように自分の世代が活躍しているのを見ると……、しかもトップレベルで活躍しているのを目の当たりにするたびに、僕自身も『ここに長くとどまっているようではアカンな』って危機感が生まれるし、早く先に進みたいという思いにもなります」

――そうした危機感を踏まえ、ご自身の将来はどんなふうに描いていますか。

「まずは、PSVへの移籍、つまりオランダのトップクラスのチームへの移籍が目標です。ガンバにいたときも、PSVからは一度オファーをいただいていますが、こうしてオランダでプレーする中で2度目のオファーがきたら本物だと思うので。

今はまず、その一員になることを目指していますが、最終的にはチャンピオンズリーグでベスト4に入れるクラスのチームに移籍したい。でもそのためには、フローニンゲンはもちろん、いく先々のチームで圧倒的な結果が必要だと思っているし、それができないようでは未来も拓けないと思っています」

――そうした未来図に日本代表は入っていますか。

「もちろんです。僕としては、ロシア(W杯)を狙っている……と、ようやく言えるくらいの自分になれた気がするので、今はそこも明確に描いているし、そのためには3月の日本代表戦にはメンバー入りしないと話にならないと思っています。

日本では僕に対して、ロシアの次、というイメージを持っている人が多いのかもしれないけど、世界を見渡しても、また、さっき言ったチャンピオンズリーグでベスト4に入れるチームへの移籍を描けばこそ、24歳でW杯に初出場しているようでは、絶対に遅い。なので、日本代表の照準はまず、ロシアに据えています」

――昨年末の『EAFF E-1サッカー選手権』を戦った日本代表メンバーに、同世代から初めてDF初瀬亮選手(ガンバ大阪)が選ばれました。彼の存在も刺激になりましたか。

「刺激……というか、ただ、ただ(代表入りへ)先を越された自分にムカついてます(笑)。でも、その腹立たしさが僕の刺激でもある気がするし、それによって、海外組も含めた日本代表には『絶対に僕が一番に入ってやる』という思いも強くなった。

実際、そのための、海外移籍でもありましたしね。単に日本代表に選出されるだけなら、もしかしたらJリーグでプレーしていたほうが可能性は広がったかもしれないけど、僕はW杯で活躍するために、このタイミングで海外移籍を選択したので。

ただ、『負けたくない』という気持ちは同年代というより、むしろガンバで一緒にプレーして尊敬しまくっていた宇佐美くん(貴史/デュッセルドルフ)や、(井手口)陽介くんに対してのほうが強いかもしれません。ずっとふたりに追いつきたい、追い越したいと思ってやってきて、今もその気持ちは持ち続けている。

でも、そのためにはまず、フローニンゲンでの結果が必要ですから。僕はここに”いい経験”をしにきたわけでは決してなく、すごいヤツらと戦って勝つために来たからこそ、これからもそれを自分の芯に据えて戦っていきたいと思っています」

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