井手口陽介を育んだG大阪の「生きた教科書」たち。怪物の「種」を開花させた国際舞台の経験

先月31日、日本代表は来年ロシアで開催されるW杯への切符を勝ち取った。宿敵・オーストラリアとの一戦で6大会連続となるW杯出場権獲得を大きく手繰り寄せるゴールを決めたのは、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の大抜てきに応えた井手口陽介だった。急激に台頭する21歳はいかにして育まれたのか。ガンバ大阪の番記者として長く井手口を見守ってきた記者が紐解く。

「1年目の陽介にはあまり印象がない」(今野泰幸)

かつてアカデミーの先輩にあたる宇佐美貴史は、自身以来となる飛び級でのトップチーム昇格を果たした後輩について「持っているポテンシャルは怪物級」と評したが、一歩ずつ、そして着実に短いプロのキャリアで成長を遂げてきたのが井手口陽介という「怪物」だった。

「ユース時代から、いい選手だとは聞いていた」

遠藤保仁らもその名を耳にしていた逸材は高校3年生だった2014年3月にトップ昇格。しかし、プロ1年目はプロの壁の高さに弾き飛ばされた。

いや、正確に言うならば日本サッカー史に残るボランチ3人に弾き飛ばされたという方が正確だろう。

三冠イヤーの2014年、ガンバ大阪で2ボランチを託されていたのは遠藤と今野泰幸の代表コンビで、「鉄人」明神智和が控えに回るというJリーグ屈指の層の厚さ。シーズン途中の8月に18歳が割って入れるほど、甘くはなかった。

「チームは三冠を取ったけど、僕は何もしていないんで……」

シーズン終了後、ただでさえ取材に対する口が重い少年は、ポツリと悔しさを口にしたが、その言葉は紛れもない本音だったはずだ。

「面白い選手だとは思ったけど、1年目はそれほどいいとは思わなかった」と若手のポテンシャルを引き出すことに定評ある長谷川健太監督が言えば、今野泰幸も「1年目の陽介には正直、あまり印象がないんですよね」と振り返る。

「飛び級」の肩書きがついた先達たちは、圧巻のドリブルを持ち味としていた家長昭博や抜群のシュート力を持つ宇佐美らオン・ザ・ボールの技術に長けていたが、井手口は従来の逸材たちとは異なり、オフ・ザ・ボールの局面でも輝ける選手である。

「ボールを刈り取れる選手」と井手口を評する遠藤は、1年目からそのポテンシャルを「陽介は球際も強いし、攻守の切り替えで力を出せる。ちょっと今までのユース上がりとは毛色が違うかな」と見抜いていた。

「種」が芽吹いた2年前のある試合

G大阪のアカデミー出身者にはボール扱いの上手い選手は数多くいたが、井手口は当初から「闘える」選手だった。

井手口が最も影響を受けた指導者と語るのがユース時代に指導を受けた梅津博徳(現G大阪ジュニアユース監督)だ。「梅津さんには試合中もそれほど怒られることなく『楽しめ』みたいな感じの人で、サッカーが楽しかったですね」と話す。ジュニアユースとユースではいずれも背番号10を託されたことからも分かるように、単なるハードワーカーではないのが井手口を井手口たらしめる要素である。

梅津は言う。

「陽介はテクニックがあるし、特に判断に優れていた。中1の時でも、中3相手に逃げることなくハードワークしてコンタクトを嫌がらなかった。海外に連れて行っても、むしろ堂々とコンタクトを挑みにいく選手だった」

「闘えるテクニシャン」という要素を持ち合わせた最高の「種」がその芽を出し始めたのは、やはりアカデミー時代から得意としていた国際舞台でのことだ。

井手口にとってのターニングポイントは南米王者との邂逅である。2015年8月のスルガ銀行チャンピオンシップで、リーベル・プレート相手に井手口は「陽介はフィジカルが強いので」(長谷川監督)と右SBで先発した。開始早々の8分にPKを献上したのは若さ故のミスだったが、後半からは本職のボランチでアルゼンチン代表クラスがプレーする南米の雄相手に球際の強さを発揮。水を得た魚のように躍動感溢れるプレーを披露したのだ。

「リーバルにあれだけやれたのは自信になった」

「リーベル」でなく「リーバル」とその名を間違えて覚えていたあたりは、井手口ならではのエピソードだが、ひとたび芽を出した逸材は加速度的にその成長を高めていく。

「成長曲線が早い選手は環境さえ整えておけば自然と伸びていっちゃう。私が何か言うよりはいいお手本が周りにあった」(長谷川監督)

リオ五輪の経験、ブラジル代表の衝撃。明確になった「ロシア」という目標

かつては高い壁として跳ね返されてきた新旧代表によるボランチ陣だが、パスさばきの達人・遠藤と球際の鬼・今野、そして危険地帯の察知に長けた明神は若き逸材にとって文字通りの「生きた教科書だった」。

「ガンバにはいいお手本がいますからね」と偉大な先輩たちのストロングポイントを参考にしつつ、自身のスタイルを確立してきた井手口。長谷川監督は「私は何もしてない」と謙遜するものの、井手口自身は「今のプレースタイルは長谷川監督からずっと要求されてきたことでできた。監督が言い続けてくれなければ、このスタイルはなかったと思う。ユース時代は攻撃ばかりでそれほど守備はしてなかったから」と感謝を忘れない。

最高の土壌に蒔かれた最高の「種」にとって幸いだったのは国際舞台での刺激が「肥やし」になったことだ。

かつて清水エスパルス時代に岡崎慎司の成長を見守った長谷川監督は「いいタイミングで五輪とか国際舞台が巡ってきた」と4年に一度しかない巡りあわせが幸いしたと話すが、井手口が世界を明確に意識したのは、やはり昨夏のリオデジャネイロ五輪がきっかけだった。

もっとも井手口にとって最大の衝撃だったのは本大会ではなく、大会直前に対戦したブラジル五輪代表だという。

「ブラジルなんかは当たるだけじゃボールが取れなかった。ああいう世界トップクラスのレベルと試合ができたのは非常に良かったです」

取材嫌いを自認する若者がキラキラと目を輝かせて、ネイマールらとの邂逅を振り返ったが、口下手なはずの井手口は同時に、こんな決意も定めていた。

「五輪では結果が出せなかった。次は本当にA代表に入ってロシアのW杯に選ばれるようにしっかりとここから頑張っていきたい」

まだ荒削りな部分は残しているものの、国際舞台でも通用しうるインテンシティの高さと時折見せるパンチの効いたシュートを併せ持つ21歳の可能性は無限大。歴代最多のAマッチ出場を誇る偉大な先輩は、オーストラリア戦の翌日に、こう言い切った。

「陽介はしっかりとボールを刈り取れるし、なおかつ攻撃にも参加できる。今の(ハリルホジッチ)監督の戦術にマッチしているし、これからさらに代表の経験で成長するだろうし、先が楽しみ」

遠藤と今野、そして明神らの良さを掛け合わせたハイブリッドな逸材は、ロシアで大輪を咲かせるだけの力を持っている。

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